ロシア歴史紀行アルバム56-1

カザンその25


 ここではカザン旅行の3日目(ただし前日はずっとボルガールに行っていたから実質的には2日目)にあたる6月18日撮影分の写真をご紹介していくことにする。
 この日のメインは、スタロタタールスカヤ・スロボダー(「古いタタール村」)地区の散策と、タタールスタン国立博物館の見学であった。このうち、スタロタタールスカヤ・スロボダーに関して簡単に説明しておきたい。
 1552年、カザンがイヴァン雷帝の軍勢によって征服されると、街の輪郭は大きな変動を被ることになる。汗国時代の建築物はほとんど全て破壊され、新たにロシア人が入植者として流れ込み、逆に本来の住民であるタタール人は都市の中心部から閉め出されてしまう。さらにタタール人は、教育や宗教などにおいても差別的な扱いを受けることになった。カザンは「東西の文明が出会う街」としてエキゾチックなイメージを持たれることも多いが、その「出会い」は幸福な形で始まったとは言えないだろう。
 そして、こうしたロシア化政策によりカザンの中心部から追われたタタール人は、カバン湖の向こう側に集落を作って移り住むことになった。これが、今日のスタロタタールスカヤ・スロボダーである。帝政時代のスロボダーは、カザンの中でもタタール人の文化や宗教の中心地としての役割りを果たしており、多くのモスクや有名なタタール建築がここに築かれた(その一部は1日目の写真でもこちらこちらで紹介した)。都心部には残っていない「タタール人のカザン」の面影を残す、歴史的には極めて大きな意義ある地区なのである。


スタロタタールスカヤ・スロボダーの一角。電柱に赤と黄の2人の人物が組み合っているのは、おそらくはタタールスタンの伝統的な格闘技・クレシュを再現したものである。


グバイドゥーリンの家(19世紀後半)。スタロタタールスカヤ・スロボダー地区には、こうした歴史的建築物が多く残されている。


こちらの家は、由来は分からないものの窓飾りなどにタタールの伝統が感じられる。と言ってもタタール芸術に詳しいわけではなく、何となくそう思うだけなのだが。


マルジャーニ・モスク。エカテリーナ2世の許可により、1766年から70年にかけて建設されたもので、カザンでは最も古いモスクの1つとなっている。


エカテリーナ2世はイスラム教に対して比較的寛容な政策をとっており、カザンに石造りのモスクが建設できるようになったのもエカテリーナ時代のことである。マルジャーニ・モスク建設に際し、カザン市当局は「ミナレットが高すぎる」と苦情を申し立てたのだが、女帝は「私はモスクのために土地を与えましたが、空は私の持ち物ではありません」としてこれに取り合わなかったという。

(06.08.01更新)


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