ロシア歴史紀行アルバム58-1

カシモフ


 2006年7月22日訪問。モスクワから夜行バスで移動し、本当は1泊するつもりだったのだが、思ったより街のサイズが小さいのでその日のうちに帰ってきてしまった。
 カシモフはオカ川の畔、リャザンの下流に位置する小都市で、元々の名はゴロデツ・メシショールスキーといった。この地方には古くからフィン・ウゴル系のメスキオーラ(メシショーラ)と呼ばれる人々が住んでおり、街の名もこれに由来している。史料初出は1152年、建設者はユーリー・ドルゴルーキーとされる。1376年にはタタールの軍勢に焼き払われ、オカ川の少し上流に再建された。
 街の運命が大きく変わったのは1452年のことで、カザンのハンの一族でありながら政争に破れて亡命してきたカシムに対し、モスクワ大公国はゴロデツを中心とする土地を所領として与える。この後、ゴロデツはカシムにちなんでカシモフと改称され、モスクワの支配下にありながら半独立のステータスを持つタタール人国家、カシモフ・ハン国の首府として新たな歴史を刻むことになった。以後、カシモフ・ハン国は1681年に廃止されるまで存続し、モスクワ大公国/ロシア帝国の歴史の中で重要な役割りを演じている。
 カシモフ・ハン国の住民は、「カシモフ・タタール」と呼ばれる独自のエスニック・グループを形成し、その子孫は少数ではあるが今でもこの地方に住んでいる。カシモフ・タタールはカザンなどヴォルガ・タタールとほぼ同じ言語を使っているが、元々の住民であったメスキオーラの言葉も反映されているという。ただし現在のカシモフでタタール語を理解できる人口は少なく、しかも高齢者に限られているとのことであった(博物館で学芸員のおばちゃんに聞いた話)。それでも、街には古いモスクやタタールの伝統的建築物などが残り、この街がたどってきたユニークな歴史を今に伝えている。


カシモフ郊外の朝焼け。


カシモフの玄関口であるバスセンター(鉄道駅はない)。街の規模に応じて小さなものである。外国人が来ることなど珍しいのか、ここでいきなり警官にパスポートをチェックされた。


鬼瓦にも似た軒上の飾りが面白い建物。ロシアでは珍しいスタイルで、確証はないがタタール独自の伝統建築ではないかと思う。


番地の下にある小さなプレートには「大祖国戦争(第2次世界大戦)参戦者の家」とある。現在もなおロシアでは「あの戦争」が特別な存在であり続けているわけだ。


参戦者の家はこんな姿をしています。このソヴィエツカヤ通りはカシモフでもメインストリートの1つであるはずだが、街の中心部から少し離れただけで、このように渋い作りの家が普通に見られる。

(06.08.11更新)


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