ロシア歴史紀行アルバム58-29

カシモフその29



カシモフの街外れ、スタールイ・ポサード地区に立つアヴガン・ムハンメド・スルタン廟。今回カシモフで見た史跡の中でも、とりわけ心を打たれたものの1つである。アヴガン・ムハンメド・スルタンはカシモフのハンではなく、元々はヒヴァのハンの息子であったが、ロシアに亡命してカシモフに所領を与えられた。


1621年、ヒヴァではハンの年長の息子たちが父親を相手にクーデタを起こした。当時11歳だったアヴガン・ムハンメドも父と共に殺害されそうになるが、その若さを憐れんだ兄がロシア大使に身柄を預けたため、モスクワへ亡命を果たすことになった。自らも若くして政変により命を失いかけた経験を持つ皇帝ミハイル・ロマノフは、アヴガン・ムハンメドに目をかけて庇護したという。


廟の入り口に掲げられているアラブ語の石盤。アヴガン・ムハンメド・スルタンは故国に帰ることなく生涯ロシアで勤務を続け、そして亡くなった。石盤にはアヴガン・ムハンメド・スルタンが1648年に亡くなり、妻であるアルトゥイン・ハヌィムがこの廟を建てたことが記されている。


裏手から見たアヴガン・ムハンメド・スルタン廟。


そして廟の前には、それはそれは美しい野原が広がっている…

(06.08.11更新)


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