2006年9月9日訪問。ドイツ時代の名前をクランツといい、スヴェトロゴルスク(旧ラウシェン)と共にバルト海に面した2大リゾート地として知られている。
かつては何の変哲もない漁村にすぎなかったクランツが、ドイツを代表する保養地として急速な成長を遂げたのは19世紀に入ってからのことである。1807年、プロイセン王妃ルイーゼはナポレオン軍の鋭鋒を避けてケーニヒスベルクからメーメルへと逃れるが、その途中で立ち寄ったクランツから強い印象を受け、この地を保養・休息のために推奨したと言われている。そして、ケーニヒスベルク出身の医師フリードリヒ・クリスチアン・ケッセルは、「太陽・大気・水」を利用した新たな療養の方法論を提唱したが、その理想的な実践場として選ばれたのがクランツであった。ルイーゼとケッセルのイニシアティヴにより、クランツには海水浴場と保養所が整備され、街は「王室御用達の保養地」として順調に発展していく。1885年にはケーニヒスベルクとクランツを結ぶ鉄道の路線が築かれたほどで、ドイツでも特に人気のある観光地の1つであった。
第2次世界大戦後に東プロイセンがソ連領となると、クランツはゼレノグラーツクという新たな名を与えられたが、依然としてバルト・リゾートの中心地であり続けている。また、ドイツ時代に上流階級の人々が遊んだ瀟洒な家々が今でも街を飾り、往時を偲ぶことができる。

ゼレノグラーツク駅。1885年のケーニヒスベルク・クランツ線開通の時からほとんど変わっていない、歴史的な建築物である。

小さな駅で、ホームもこの程度の規模だ。ゼレノグラーツクは有名な保養地であるため、カリーニングラードからは頻繁に電車やバスが出ている(我々は往復ともバスを使った)。

レーニン通り。いかにもリゾート地らしい小ぎれいな家が立ち並ぶ。

何の変哲もない家だが、「1926」という数字が目を惹く。これが建築年のことであるとすれば、ワイマール時代に建てられた家になるわけで、それだけで何やら有り難味が感じられる。

遂にやって来ましたバルト海。駅からは歩いてすぐ。
(06.10.07更新)