ロシア歴史紀行アルバム75-1

クラースヌィエ・ヴォロータ地区


 2006年9月30日訪問。
 「クラースヌィエ・ヴォロータ」を直訳すると「赤い門」という意味になるが、これは「赤の広場」と同じパターンで、共産主義のシンボルカラーとは何の関わりも持っていない。形容詞「クラースヌイ(赤い)」が「クラシーヴイ(美しい)」の意味を兼ねていた時代の産物なのである。
 1709年、宿敵スウェーデンをポルタヴァに破ったピョートル大帝は、モスクワ市内の北東部、ゼムリャノイ・ヴァールと呼ばれる城壁の開口部に凱旋門を作らせた。この門が、民衆の間では「美しい門(クラースヌィエ・ヴォロータ)」の名で知られるようになったのである。ピョートルの命令で築かれた木造の凱旋門は1748年に火災のため失われたが、1757年には石造りで再建されている。
 残念ながら、ソ連当局は1928年にこの歴史的な建築物を撤去し、門のあった場所は地下鉄「クラースヌィエ・ヴォロータ」駅(1935年:1962年から86年までは「レールモントフスカヤ」)の用地となった。この一帯には、ロシア・アヴァンギャルドの時代を代表する構成主義建築の手法を取り入れた建物と、所謂スターリン・アンピールの特徴的な建物が入り混じり、非常に興味深い都市景観を現出している。有名な観光名所に恵まれているわけでは決してないのだが、先にご紹介したガガーリン広場と同じく、「ソ連が作ろうとしたモスクワ」の面影を探るには恰好の地区であろうと思う。
 なお、クラースヌィエ・ヴォロータの建築物は『ロシア建築案内』の95ページから98ページにかけて詳しく解説されており、今回の散策にあたっても大いに参考にさせてもらったことを付言しておく。


地下鉄クラースヌィエ・ヴォロータ駅(1935年)。構成主義建築の傑作の1つで、パリ万博ではグランプリを獲得している。


駅に隣接するこの建物は、1929年から35年までソ連の外務人民委員(外相に相当)マクシム・リトヴィノフが住んだという歴史的なマンションである。


だが、クラースヌィエ・ヴォロータに降り立った者が最初に目を奪われるのは、間違いなく駅の正面にそびえるこの建物だろう。一般的に「スターリン建築」の名で呼ばれる7つの高層ビルの1つで、建設は1948年から53年まで。元々は運輸関係の省庁のオフィス兼住居として建てられたものである。


スターリン建築の右手に立つロシア鉄道(かつてのソ連運輸人民委員部、ロシア連邦鉄道省)本社ビル。1930年から36年にかけて作られた。クラースヌィエ・ヴォロータ地区には構成主義の手法を用いて建設されたかつての省庁が集中しているが、ロシア鉄道ビルもその中に含まれる。全体のフォルムは機関車をイメージしているのだそうだ。


ロシア鉄道本社ビルよりさらに右手を眺めたところ。この道路はサドーヴォエ環状道路の一部で、モスクワを守っていた一番外側の城壁であるゼムリャノイ・ヴァールの跡地を道路に変えたものである。

(06.11.02更新)


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