
記念碑の右手に視線を移すと、1812年にラエフスキー砲台の一部であった土塁が残っている。一方、丘の麓をジグザグに這っている塹壕は第2次世界大戦当時のものであろう。ここには新旧の防御施設が2つながらに残されているわけだ。

ロシア軍の将兵に捧げる記念碑。

その裏手にあるピョートル・バグラチオン将軍の墓所。

側面から見たラエフスキー砲台。土塁の前の浅い壕も残されている。もちろん、これもオリジナルの度合いは分からないのだが。

こちらは土塁の裏側。こうやって気軽に史跡の上を歩けるのはいいことなのかもしれないが、そのうちすり減ってしまわないのだろうか。土塁だけに心配だ。
(06.11.23更新)