ロシア歴史紀行アルバム79-1

ポクロフカ通り


 2006年10月17日訪問。
 今回もまた、モスクワ市内において一つの街区を散策し、その中で見かけた史跡や興味深い建築物などを紹介していこうという趣向。「ポクロフカ通り」というのは、モスクワ市の中でもベールイ・ゴロドとゼムリャノイ・ゴロドの2つの地区を東西に貫く通りで、かつてはウラジーミルへと至る街道につながっていた(名の由来はかつてこの通り沿いに存在したポクロフ(聖母の庇護)聖堂であるが、聖堂自体は1777年に撤去されている)。また、ポクロフ通りの最も西、キタイ・ゴロドの城壁に近い部分はマロセイカ通りという別の名で呼ばれている。その昔、ウクライナのヘトマン(カザークの首領)から遣わされた使者がここに逗留していたからで、昔ロシア人がウクライナを「小ロシア」(マーラヤ・ロシア)と呼称していたため、これが訛って「マロセイカ」になったのだという。
 実際の散策ルートは、まず西側からスタートしてマロセイカ通りを歩き、ポクロフスキエ門広場(ベールイ・ゴロドの城壁にあった門の跡地)を北に折れてチーストゥイ・プルードと呼ばれる池の辺りで終了。厳密にはポクロフカ通りを最後まで歩き通したわけでなく、距離的にはそれほど長くはない。それでも、帝政時代の建築物や教会などが多く、歴史的景観を堪能することができた。


マロセイカ/ポクロフカ通りの起点、イリインスキエ門広場(昔キタイ・ゴロドのイリインスキエ門があった辺り)に立つプレヴナの戦いの記念碑。露土戦争におけるプレヴナ要塞攻略戦(1877年)で戦ったロシアの将兵に捧げたものである。


それはいいのだが、問題はモニュメントを飾るレリーフ。露土戦争当時の価値観そのままで作られているから、現代人の目から見るとちょっとどうかと思ってしまう。例えばこれは、トルコの圧政下で呻吟するブルガリア民族の図。


こちらはトルコ兵が倒されているところ。


さらにこんな像も…おそらくはイェニチェリ関係だろう、幼子をさらっていこうとする「悪いトルコ人」。現在のトルコからやって来た人がこれを見たらどう思うことやら。


何らかのエピソードを再現したものだろうか。

(06.12.03更新)


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