2007年1月2日から4日にかけて訪問。
東スラヴ人にとって最初の統一国家キエフ・ルーシの首府、「ルーシの街々の母」と呼ばれた歴史ある古都であり、現在はウクライナ国家の首都となっている都市キエフ。キエフ・ルーシの研究を志してこの世界に入って以来、遂にこの街を訪問することができた。まさに念願かなって、というところである。
キエフはドニエプル川に面した小高い丘の上に成立し、ドニエプルを通じた交易によって成長した。考古学的な調査によれば、この場所に人が住み始めたのは紀元前3000年と古いが、とりわけ9世紀に誕生したルーシ国家の都となってからは、都市として飛躍的な発展を遂げている。広大なルーシ国家の中でも、キエフは政治・宗教・経済のセンターであり、巨大な規模と先進的な都市文化を誇るメガポリスであった。
しかし、12世紀に入ってルーシ国家が分裂の傾向を示すと、キエフの権威も徐々に低下し、衰退の道をたどり始める。とりわけ1240年にバトゥ汗率いるモンゴル軍によって破壊されると、キエフには新たにルーシの地を糾合するだけの力は残っていなかった。14世紀になると、この地に進出してきたリトアニア大公国、後にポーランド・リトアニア国の支配するところとなる。
その後、ザポロージエ・コサックの台頭によってキエフの再建が進み、ウクライナ民族の心の拠り所として新たなステータスを手にしていく。しかしながら、ポーランドからの分離を果たしたウクライナは、今度はロシア帝国の枠組みに繋ぎ止められ、この状況はロシア革命とソ連の成立を経ても変わることはなかった。ロシア帝国/ソヴィエト連邦の枠内でも、キエフは有力な地方都市として発展するが、第2次世界大戦の時には甚大な被害を受けている。そして1991年にソ連が崩壊すると、キエフは新生ウクライナ国家の首都として、新たな道を歩むことになった。
ここではまず、初日・1月2日に撮影した写真をご紹介していきたい。
※断わり書きのこと※
キエフはウクライナの首都であり、その地名や関連する人名は言うまでもなくウクライナ語で書き表わすべきものである。しかし一方で、いくつかの地名はロシア語ベースで定着しており、早い話が「キエフ」という都市名自体もウクライナ語ではなくロシア語に起源を持っている。また、ウクライナ語を日本語で表現する上での規則自体が完全に定まっているとは言い難い。これらの理由から、本稿のウクライナ語表記は必ずしも徹底していない場合があることをお断りしておく。

夜行列車「ウクライナ号」。この列車に乗ってキエフまでやって来た。

キエフ駅の入り口ホール。スケールが大きくて装飾もきれいだが、照明の量が少なくてちょっと暗い。

キエフに着いてまず行なったのが宿泊地の決定。駅で地元の人と交渉し、このアパートの一室を借りることになった。キエフではこうしたビジネスが発達しているようだ。ごく普通のソヴィエトタイプのアパートで、3人で1泊50ドルだから安いものである。

台所はこんな感じ。間取りや家具など、ロシアで一般的なアパートと全く変わらず、昔は同じソ連の一部だったのだなあ…と妙な感慨がある。

ベランダから見下ろした風景。アパートは駅の裏手の小高い丘陵地上にあり、展望は悪くない。と言ってもキエフの歴史的な中心地からは離れているから、視界に入る街並自体は味気ないものだが。
(07.01.26更新)