
ミハイル修道院は増改築を経て20世紀を迎えたが、1937年に至ってソ連当局の手により爆破された。この蛮行から丁度60年後の1997年、独立ウクライナ国家の支援を得て修道院の再建が始まり、2000年に完成している。

修道院を中心としたミハイロフスカ広場の左側を縁取る建築群。列柱で飾られた巨大な建物は元のウクライナ共産党本部で、現在は外務省として使われている。当初のプランではこれと対になる形でもう1つ建物を作ることになっており、そのために修道院の爆破が強行されたのだが、結局は計画倒れに終わったのだという。

広場の一角にはこのような像が立っている。左から使徒アンデレ、キエフ公妃オリガ、「スラヴ人の使徒」キリルとメフォージー。

「ズラトヴェルヒー(金の屋根の)」という通り名に違わず、黄金の丸屋根が陽光を反射して美しい。

一方、修道院の入り口近くには、1932年から33年にかけての大飢饉の犠牲者に捧げる慰霊碑が立つ。破壊と再建のいきさつなどから、ミハイル修道院は反ソヴィエト・反ロシア感情の結集点の1つなっているように感じられる。ちなみに修道院自体、モスクワ総主教府ではなく独立したウクライナ正教会・キエフ総主教府に所属している。
(07.01.26更新)