ロシア歴史紀行アルバム84-1

キエフその24


 ここからはキエフ旅行の第2日目、1月3日に撮影した写真をご紹介していきたい。この日のメインは、我々のサイトがその名を借りている洞窟修道院であった。
 洞窟修道院(ペチェルスキー修道院、ペチェルスカ大修道院)の創建についてはこちらを参照されたい。ルーシで始めての修道院として出発した洞窟修道院は、その後もロシア正教の聖地の1つとして崇敬され続け、現在に至っている。「舌がキエフに連れていく」(言葉さえ分かればキエフまで行き着くことができる)というロシアの有名な諺は、実は洞窟修道院への巡礼者があまりにも多いことから誕生したのだという。実際、今でもキエフで「ラヴラ(大修道院)」とだけ言えばこれを指すことになっているようだ(ちなみに洞窟修道院はロシア正教会で「ラヴラ」の称号を許された5つの修道院のうちの1つである)。
 現在の洞窟修道院は、宗教施設であると同時に、その領域内に複数の博物館を抱える観光地ともなっている。雰囲気的にはトロイツェ・セルギエヴァ大修道院に近く、一般の観光客に対して排他的な雰囲気はなかった。しかし本来は信徒が神に祈りを捧げるための場であり、それ以外の来訪者にも相応のマナーが求められることは言うまでもない。


導入で修道院の話をしておいていきなりマクドナルドというのも何だが、この日の朝飯の場所である。世界中どこへ行ってもマクドはマクド。ただしモスクワとは多少メニューが違っていた。


ちなみにマクドナルドは鉄道駅の真向かいにある。いかにも駅周りらしい雰囲気だ。


地下鉄に乗ってアルセナーリナ駅へ。かつてこの地区には兵器工場があり、その労働者が革命運動に参加したことを称えた記念碑がこれである(1923年)。台座と大砲の大きさが不釣り合いなのは、帝政時代に存在した別の像を撤去し、その台座だけを流用したからなんだそうだ。


駅のすぐそばにあるこの建物は、1917年から18年には革命派の部隊の拠点となっていた。もっとも、現在のウクライナにおいてその辺りの歴史がどう評価されているのかは分からない。


道の向かい側に広がる、かつての兵器工場の一角。

(07.02.07更新)


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