
再び山の上の地区に戻り、歴史博物館のある丘へとやって来た。この地区は「ウラジーミルの街」と呼ばれ、キエフの中でも中枢をなす場所として知られていたが、さらに原初年代記によれば、伝説的なキエフの建設者キーもここに暮らしていたという。石碑は「キーの街」を記念したものである。

「デシャチンナヤ教会(十分の一教会)」の名で知られる聖母教会の跡地。ウラジーミル公の命により建設された、ルーシ最古の石造教会だが、バトゥ率いるモンゴル軍の襲来により崩壊、再建はされていない。ちょうど発掘調査を行なっていたようで、跡地全体が塀で囲われ、礎石を見学することはできなかった。

異教時代の祭壇の跡。そういうものが出土している、ということ自体驚きである。キリスト教の普及以前は、最も重要な宗教施設の1つだったのだろう。

歴史博物館の外壁には、ポロヴェツの石人と思しき像が展示されている。「展示」と言いつつ、半ば雨ざらしに近い状態で、もうちょっと考えた方がいいように思うのだが…

同じく。
(07.02.15更新)