ロシア歴史紀行アルバム87-1

ノヴゴロド


 2007年1月13日と14日に訪問。これは、ロシアにおいては旧正月(ユリウス暦での新年)にあたる日程であった。
 キエフと並び、初期ロシア史において極めて重要な役割りを果たした都市であり、その名(「ノーヴイ・ゴロド」すなわち「新しい街」を意味する)に反してロシアでも最も古い街の1つに数えられる。バルト海と黒海を結ぶ通商路(いわゆる「ヴャリャーギからグレキへの道」)の北端部に位置し、年代記の記述によれば、862年にバルト海を越えてやって来たリューリクがノヴゴロドに入ったことでルーシ国家の歴史がスタートしている。
 政治的な中心がキエフに移った後も、ノヴゴロドは商工業によって繁栄し、ルーシの政治地図において存在感を示し続ける。その政体は貴族を中心とした共和制に近い独自のシステムをとっており、「共和国」と表現されることも多い。全盛期のノヴゴロドは「ゴスポジン・ヴェリーキー・ノヴゴロド(主権者大ノヴゴロド)」という特別な敬称をもって呼ばれ、現在でも街の正式な名前は「ヴェリーキー・ノヴゴロド」である(1999年に歴史的な呼称の復活が決定された)。
 しかし、モスクワを中心とした中央集権的な国家が編成されると、ノヴゴロドはこれに抗することができず、1478年にはモスクワ大公国に併合されるに至る。その後、1570年にはイヴァン雷帝の軍勢に、またスムータ(動乱)の時代にはスウェーデン軍に荒らされ、第2次世界大戦でも再び甚大な被害を被るなど、数々の試練を乗り越えなければならなかった。
 しかし、現在ではそうした波乱の歴史も過去のものとなり、ノヴゴロドは豊かな文化的伝統を誇る古都としてのステータスを獲得している。街には教会を初めとする建築遺産が多く残り、博物館の数も少なくない。
 ここではまず初日、1月13日に撮影した写真をご紹介していく。


ノヴゴロド駅の駅舎内。この時期のロシアは日の出が遅く、夜行で到着しても外は真っ暗、かなり長い時間ここで待つ羽目になった。内装はクラシックで瀟洒な感じだ。


駅舎の外観。


その前には最も有名なノヴゴロド公の1人、アレクサンドル・ネフスキーの胸像が飾られていた。


駅から歩いて街へ向かうと、まずはこのように土塁がお出迎え。ノヴゴロドの土塁は全長6キロに達し、ほぼ円形に街を取り巻いている。


土塁は見たら登るべし。これが基本。もちろんかつては今と比べ物にならないほど高く、その上部には木でできた壁や櫓が設けられていたはずである。

(07.03.07更新)


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