ロシア歴史紀行アルバム89-1

ノーヴイ・アルバート通り


 2007年1月28日訪問。
 モスクワ市内、クレムリンからほぼ真西に向かって伸びる通りで、ソ連時代にはカリーニン大通りと呼ばれていた。モスクワの中でも最も歴史が浅く、同時に最も個性的な通りの1つであるかもしれない。元々は1935年のモスクワ市再開発プランにおいて、街の南西部を走るルブリョフスコエ街道とクレムリンを結ぶための幹線道路として計画された。この道路の最初の部分が有名なアルバート通りと平行していたため、工事の際にノーヴイ・アルバート(新アルバート)という仮称がつけられている。その後、計画は戦争により長期にわたって中断していたが、1960年代初頭に再開され、62年に完成した道路は(半ば惰性で)ノヴォアルバーツキー大通りと呼ばれた。これが翌年、カリーニン大通りに改称されたのである。そしてソ連崩壊後の1994年、カリーニンの名を外して再度ノーヴイ・アルバートに名を改めたというわけだ。
 つまり、ノーヴイ・アルバートはソ連時代に誕生した「ソヴィエト純正」のストリートであり、現在の景観の中にもそうした履歴が色濃く現れている。通りの両側には同じスタイルと大きさの高層ビルが等間隔で立ち並び、極めて無機質な印象を与える。おそらくはこの無機性が、ポスト・スターリン時代のソ連では時代を切り開く「未来」イメージに沿うものだったのだろう。しかし今や、この地区にも様々な企業が進出して色とりどりの看板を並べ、ソ連時代の禁欲な街並は見る影もない。いずれにせよ、モスクワの歴史的な変遷を追体験する上では恰好の地区であると言えよう。


 
モスクワ・クレムリンの入り口にあたるクタフィヤ塔(手前)とトロイツカヤ塔(奥)。ノーヴイ・アルバート通りはこの位置からほぼ真西に位置している。


同じ位置でクレムリンに背を向けるとこうなる。画面の中央、真直ぐ向うに伸びているのがヴォズドヴィジェンカ通りで、これがノーヴイ・アルバートに接続するわけだ。ちなみに右手、道路を挟んで立つ大きな建物は、かつてミハイル・カリーニンの仕事場となっていた。


一方、上の写真で左手前に写っている建物も見逃せない。かつては外国の共産主義者を受け入れる機関であったらしく、著名人がここで働いていたという記念プレートが何枚も掲げてあるのだ。例えばこれはアントニオ・グラムシ(1922年から23年まで)。


ハンガリーの共産主義者ベーラ・クーンもここにいました(1924年から36年)。


あるいはホー・チミン。ホーおじさんは1922年から23年までこの建物で働いていた由。

(07.03.15更新)


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