ロシア歴史紀行アルバム9-1

ニコロ・ウグレシスキー修道院


 2005年6月26日訪問。
 伝説によれば、ドミトリー・イヴァノヴィチ大公(後のドンスコイ)はクリコヴォの戦いに先立ち、モスクワから南東を指して行軍していたところ、小休止中に聖ニコライのイコンが現れるという奇蹟を体験した。ドミトリー大公はこの出来事によって心励まされ、クリコヴォで大勝を得た後、奇蹟が起きた場所に聖ニコライの修道院を建てるよう命じた。また、大公はイコン出現の奇蹟が自らの心を「暖めた(ウグレーチ)」と叫んだため、修道院は「ウグレシスキー」の名で呼ばれるようになったという。
 修道院は歴代大公及びツァーリの庇護を受けて徐々に成長していった。ただし1521年にはクリミア汗国の軍勢によって破壊、またスムータ(動乱)の時代には偽ドミトリー1世と2世が共に滞在し、第1次国民軍の集結地に選ばれるなど、歴史的な諸事件の舞台ともなっている。18世紀以降に衰退したが、19世紀後半には再び繁栄を見せ、現在残る建築物は大半がこの時代のものである。
 革命後の1920年代、ニコロ・ウグレシスキー修道院は閉鎖され、「ジェルジンスキー記念浮浪児更正施設」へと姿を変えた(ちなみにこの地域自体も「ジェルジンスキー市」に改名されている)。ソ連時代を通じ、修道院では多くの貴重な建築物が失われ、あるいは原形をとどめぬほど改造された。しかし、ソ連崩壊後の1991年には再び活動を開始し、現在では建物の再建・修復作業が進められている。


修道院のすぐ外にあったでかい看板。クリコヴォの戦い及び修道院の創建から625年を記念してのもので、ジェルジンスキー市では他にも何か所かで見かけた。


修道院の入り口である「聖なる門」。ご覧の通り、ソ連時代に破壊を被った後で再建途上の姿である。古い絵図面を見ると、門の上には大型の尖塔が乗っていたものらしい。


門をくぐると、このような景観が広がっている。正面に見える優美な鐘楼も、戦時中はドイツ空軍の攻撃目標になるとの理由により、上部2層が撤去されてしまったという(2002年から3年にかけて修復完了)。


右手には池が広がり、水鳥たちの姿がのどかな雰囲気を醸し出している。


池の対岸から聖堂と鐘楼を見たところ。

(05.06.28更新)


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