2007年2月3日から4日にかけて訪問。
ロシア最古の都市の1つ・ベロオーゼロの後継者となった街である。元々ベロオーゼロの街はベーロエ・オーゼロ(「白い湖」を意味する)と呼ばれる湖の北岸にあり、後に湖の南西部、シェクスナ川が流れ出す河口部に移ったと言われる。原初年代記によれば、862年に招かれてノヴゴロドへやって来たリューリクは、弟のシネウスをベロオーゼロに、もう1人の弟トルヴォルをイズボルスクに派遣した。この記事により、ベロオーゼロの名はロシア史において不朽の存在になったと言っていいだろう。フィン・ウゴル系民族の居住地であったこの地域にスラヴ人が入植し、ヴォルガ川へと至る交易ルートを掌握していく上で、ベロオーゼロは重要な役割りを果たしており、これがシネウス伝説にも反映しているものと思われる。
キエフ・ルーシの時代からモスクワ大公国の黎明期まで、ベロオーゼロはルーシ北部の中心都市の1つとして繁栄するが、14世紀半ばには疫病の流行により衰え始める。そしてクリコヴォの戦い(1380年)の後、ベロオーゼロはモスクワの支配下を受けるようになり、結果としてモスクワとノヴゴロドの抗争に巻き込まれる形となった。1389年、ノヴゴロドの軍勢に焼き払われたベロオーゼロは、元の場所で復活することはなく、15キロほど離れたベーロエ湖の南岸に新しく再建された。これが現在のベロジョールスクである。
残念ながら、元のベロオーゼロ(シェクスナ河口の街)の跡地は、1964年に建設されたヴォルガ・バルト運河により大半が水没し、残りの部分は自動車道によって破壊された。ソ連時代の「過去」への向き合い方は一様ではなく、様々なパターンがあったのだが、ベロオーゼロに関しては「新しいものを築くため平気で(寧ろ進んで)古いものを破壊する」という最悪の面が現れてしまった…
一方のベロジョールスクは、鉄道が敷設されなかったこともあってか、現在は人口1万人規模の小都市にとどまっている。観光的な開発が進んでいるとは言い難く、博物館は全て土日休み、残りの日もあらかじめ申し込みが必要という有り様(おかげで今回、博物館の類は1つも見学できなかった)。しかしそのおかげでと言うべきか、ロシアの古い地方都市の雰囲気がよく残る、非常に味わい深い街となっている。15世紀のクレムリの土塁や教会建築など、決して見どころは少なくない。
ここではまず、2月3日に撮影した写真を公開していく。

ベロジョールスクのバスセンター。公共交通機関でこの街に来るには、バスが唯一の手段である。我々は100キロほど先にあるチェレポヴェツから往復した。

バスセンターの近くにあった銅像。誰のものかは分からないが、風雪にさらされて随分とくたびれた感じだった。

街の中でも最大の史跡、15世紀のクレムリ(城塞)までは歩いてすぐ。堀にかかっている橋は18世紀に築かれたものだという。

クレムリの入り口。

橋の上から堀を眺めたところ。
(07.03.20更新)