ロシア聖堂案内(外編)
この「ロシア歴史紀行」で紹介している史跡には、とにかく聖堂が多い。別にわざと選んでいるわけではなく、実際に小生が興味を持っているような古い時代だと、保存状態のいい史跡はほとんどが聖堂なのである。
日本では正教がそれほど普及していないこともあり、ロシアの教会建築にはあまりなじみがないと言っていいだろう。稀にロシアの教会が映像として紹介される場合、「玉ねぎ型」の丸屋根は大きなインパクトを与えるかもしれないが、その詳細を知る人は数少ないと思われる。そこで今回は、「ロシア歴史紀行」の特別編として、ちょっとしたロシア教会建築ガイドを製作してみた。これが少しでもロシアの聖堂を知るきっかけになればと思う。
なお最初にお断りしておくが、筆者はロシアの建築やキリスト教について専門的な知識を持っているわけではない。本稿も、ガイドブック等の概説的な記述を基にした、ごく大雑把なものである。もし何か誤りを見つけられた方は、こちらまで報せていただければ幸いである。
左に示した画像はウラジーミルのドミトリエフスキー聖堂、12世紀に建設された現存最古のロシア聖堂の1つである。ご覧の通り非常にシンプルかつオーソドックスなスタイルでもあるので、これを例にとってまずは聖堂の外観の解説を進めてみたい。
ロシアの教会と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは特徴的な円蓋(ロシア語ではクーポル)だろう。玉ネギ型の丸屋根とかネギ坊主のドームとか、いろんな言葉で表現される例のアレである。ただ、左写真を見てもお分かりのように、ドミトリエフスキー聖堂の円蓋は膨らみが少ない半円形となっている。これはおそらくドミトリエフスキーがロシアでも最も古い聖堂の1つであるからで、ロシアがビザンツからキリスト教を受け入れた当初は、このような形の屋根が一般的であったと考えられている。つまり、お手本であるビザンツ聖堂の円蓋のスタイルをそのまま模倣したわけだ。しかし時代が下ると、玉ねぎ型に膨らんだ円蓋が主流になるのだが、その理由についてはよく分からない。いずれにせよ、聖堂建築の「ロシア化」を象徴する現象だと言えるだろう。
円蓋の数は、小型の聖堂であれば1つが普通だが、サイズが大きくなれば5つの円蓋を持つ聖堂が多い。その場合は、中央にメインの円蓋を配し、その周囲を4つの小円蓋が取り巻く形となる。稀に3つの円蓋を持つ聖堂や、7つ以上の「多頭型」聖堂も存在する。
聖堂の内部について説明する際に詳しく書くつもりだが、聖堂建築は宗教的なシンボルの集大成と言ってよく、円蓋の数も例外ではない。もしも屋根が1つであればそれは「唯一の神」の象徴、3つであれば「三位一体」、5つなら「主キリストと4人の使徒(福音書作家)」、7つなら「7つの秘蹟」を象徴している、という具合である。
それからまた、円蓋は数や形のみならず色にもいくつかの種類があり、金以外だと青、緑、銀が多い。中には青い丸屋根に金の星をちりばめたタイプもある。さらに、円蓋の表面も滑らかなものばかりではなく、ウロコ状やミカンの房型など様々である。要するに、一口に「円蓋」といっても色々なスタイルがあるのだが、その頂部に正教の十字架が据えられている点は全ての教会に共通している。
ところでロシアの聖堂の屋根としては、こうした円蓋以外に、シャチョールと呼ばれる多角形の尖塔も古くから用いられてきた。その一例としてはヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂を挙げることができるが(こちらの写真を見られたい)、この聖堂では中央に背の高いシャチョールを置き、周囲を8つの円蓋が取り巻く特異なスタイルとなっている。またシャチョールは、尖塔とはいっても完全に先端が尖っているわけではなく、頂部に小さな円蓋を乗っけているのが普通である。
次に、円蓋を支えている円筒形の部分だが、これは日本語で鼓胴、ロシア語ではバラバンと呼ばれている。ちなみにバラバンとは、そのものズバリで「太鼓」を意味する言葉である。見ての通り、スリット状の縦に長い窓を持つことが多い。聖堂の中に入ると、この窓から光が差し込んで何とも言えない厳粛な気分になり、視角効果は絶大と言えるだろう。
円蓋と鼓胴を合わせると、かなりの重量に達するもののようだ。そのため、ある教会では下層の屋根がこの部分を支え切れずに落下してしまい、後に円蓋を小さく作り直した例もある。優美な丸屋根も、高度な建築技術があって初めて実現するわけである。
さらにその下に見えるファサードの上部は、3つの半円形(カマボコ状と言ってもいい)の破風で飾られている。これをザコマーラという。円蓋ほどには目立たないものの、ロシア聖堂建築の外観を特徴づける要素の1つである。ただし軒の部分が直線に作られ、ザコマーラを欠く聖堂も少なくはない(特に木造教会の場合)。
また写真のドミトリエフスキー聖堂にはないが、ザコマーラと同じような半円形の破風・ココシニクが多数、屋根を飾っている場合もある。ココシニクは16世紀以降の教会建築に多く見られる装飾で、もともとは伝統的な女性の帽子を指す言葉だったのが、形が似ているため建築用語にも取り入れられたものらしい。
写真の正面に写っているのは聖堂の南面であるが、ご覧の通りアーチ型の出入り口が設けられている。ロシア語ではポルタールと呼ばれるものである。ポルタールの縁にあたる部分は、見事なレリーフによって飾られていることが多い(その一例としてこちらの写真参照)。これもロシア聖堂の見どころの1つに数えてよいだろう。
ふつう、聖堂への出入り口は建物の西側にあり、南と北側にも作られている場合がある。これに対して東面だけは、外部からは閉ざされている。その東側(写真では右側にあたる)の壁だが、少し膨らんで張り出した形となっているのがお分かりいただけるだろうか。これはアプシダ(後陣)といい、聖堂の中でも最も重要なる部分である。どのように重要であるのかは、聖堂の内部を解説する際に追々と。● ● ● ● ● ● ●
ロシア聖堂建築の外観の特徴については、概ね以上の通りである。ただしこれは、あくまでも1つの聖堂を例にとり、基本的な要素を解説したにすぎない。実際には、聖堂の外観は多種多様であることを強調しておかなければならない。地方により、また時代により、建築のスタイルも様々なのである。
例えば、先に述べた通り聖堂の屋根の数や形・色はそれこそ千差万別と言っていいほどで、これによって外観の印象は大きく変わる。また聖堂本体にも、鐘楼が付属していたり、あるいは周囲に回廊がめぐらされるなど、複雑な構成をとるものが多い。むしろ、ドミトリエフスキー聖堂のようにシンプルな建築の方が珍しい、と言ってもいいだろう。
それからまた、あまり認識されていないことではあるが、近代ロシアでは伝統的な建築様式から離れた聖堂が珍しくない。殊にピョートル大帝以降のロシアでは、西欧文化の影響が教会建築にも浸透し、新しいタイプの聖堂が増えてくる。「ヨーロッパへの窓」サンクトペテルブルクともなると、伝統的なネギ坊主型の丸屋根を見つける方が難しいくらいだ。写真で例示したのは、そのペテルブルクを代表するイサーキエフスキー聖堂(1858年完成)。堂々たる円柱といい、古代ローマの神殿を思わせるファサードといい、一見したところ「ロシアらしくない」聖堂と映るかもしれない。実際ペテルブルクでは、複数の著名な聖堂が、西ヨーロッパから招聘された外国人技師の設計によって完成している。
そういう次第で、聖堂の外観だけをとっても非常に沢山のパターンがあり、小生の菲才をもっては全てを説明することなど不可能である。繰り返しになるが、ここではドミトリエフスキー聖堂という具体的な例を利用し、ごく簡単な解説を加えたものにすぎない。あくまでも、ロシア聖堂建築の基本的な要素として理解して頂ければ幸いである。
続いては、聖堂の内部構造についてお話することにしたい。ロシア聖堂案内(内編)へ
(04.10.03)
ロシア歴史紀行へ戻る
ロシア史のページへ戻る
ホームページへ戻る