ロシア聖堂ガイド(内)
まず最初に、ロシア聖堂の基本となる平面型を見て頂くことにしたい。
ロシアの教会建築はキリスト教伝来と共にビザンツ帝国から伝わってきたもので、その基本形は現在も変わっていない。4本の柱を中心に置いた十字架型の平面で、その中心部分は円蓋の下に位置することになる。それぞれの柱はアーチ状に連結され、天井を支えている。ただし、これは基本的な模式図であり、実際には聖堂の規模に応じて柱の数もまちまちである。
また、全ての聖堂は東向きに建てられていることに注意しなければならない。聖堂の中心線は必ず東西の軸線の上に置かれ、東側が最も奥側ということになる。この平面図では下側が西にあたり、開口部は聖堂への入り口を示している。そして上部、3つの半円状のせり出しが見えるのが東側である。
こうした約束事は、東を最も尊いと見なす観念から生じている。つまり、東は日の昇る方角、光の生じる方角であり、光は同時に神を象徴しているからである。もっとも、カトリックやプロテスタントにおいても教会は東向きに造るものらしいので、正教会に特有の考え方というわけではないようだ。ともあれ、ロシアの聖堂においては東側が一番奥、つまり最も神聖なる場所にあたっている。
それでは聖堂の中に入ってみることにしよう。まずは入り口だが、基本的には平面図の通り西側に設けられるのが一般的で、その他には南と北にも作られる。南北の入り口は、特定の儀式の時以外は「開かずの扉」になっている場合もある(らしい。この辺りはロシア正教に関する詳しい知識がないので分かりません。すいません)。一方、東側には原則として出入り口は存在しない。
ロシアの聖堂に初めて足を踏み入れた人は、何よりもまず、聖堂の内面を埋め尽くすフレスコ画に圧倒されることだろう。壁や柱・天井と、至る所に聖人、天使、聖職者、俗人、悪魔、聖書や聖人伝の一場面、それに地獄などが描かれている。まさに色彩の洪水で、見る者の心に迫ってくる。さらにまた、壁や柱にはイコンが掲げられていることも多い。基本的にロシアの聖堂では窓が縦に細長く、採光性はそれほどよくはないのだが、そこから入ってくる光や信者が捧げるろうそくの灯りに照らされると、これらの聖像画は薄暗い聖堂の中で強い印象を与えている。望むなれば「神々しい印象」と言い換えることもできるだろう。
このような伝統は、言うまでもなくビザンツからキリスト教そのものと共に受け継いだのだが、ロシアでは(ビザンツと異なり)モザイク画がそれほど発展せず、フレスコの方が主流となっている。また、一口にフレスコ画と言ってもその内容は様々で、基本色が赤であったり青であったり、あるいは絵のタッチが伝統的なものであったり近代的(写実的)なものであったり、聖堂によって大きく違っている。もちろん時代や地域による差は大きい。
聖堂内において、東西の軸線に平行し、柱と柱・もしくは柱と壁に挟まれた空間をネフという。ここで例示している4本柱の教会ならば「3つのネフを持っている」というわけだ。ちなみにネフとはギリシア語起原で「船」の意、俗世の荒波から信者を守る教会を象徴している。まさに、聖堂とは宗教的なシンボルの集大成なのである。
真ん中のネフのそのまた中央、つまり4本の柱で囲まれた空間は、先述の通り聖堂の円蓋の真下に位置している。円蓋は天を象徴しており、普通は全能なる主(パントクラートル)キリストが内壁に描かれている。ここに立って頭上を仰ぐと、地上の人間たちを見守るキリストの姿が目に入ってくるわけだ。また、聖堂外観の解説でも触れたように、円蓋を支える鼓胴(バラバン)には明かり取りの窓が穿たれており、昼間であればそれを通して上方から光が差し込んで来ることになる。キリスト教世界の「天」を視覚的に表現するものとして、絶大な効果を発揮していると言える。
円蓋内のキリスト像だけでなく、聖堂ではどこにどのような聖像画が描かれるのかがだいたい決まっている。こうした規則は長い年月の間に定着したものであり、聖堂の内部空間にとって欠かせない構成要素となっている。
まず円蓋直下の鼓胴には、使徒や預言者が描かれる。神の言葉を聞き、地上に広めた人々ということで、天を象徴する円蓋のすぐ下に位置づけられるわけだ。また、4本の柱が鼓胴を支える際、四方に生じる三角形の空間をパールスと呼ぶが、ここには4人の福音書作家が描かれる。福音書こそが信仰を支える柱である、との観念を現わすものだという。
天井部分から南北の壁の上部にかけては、地上におけるキリストや聖母の生涯、福音書の箴言、あるいは当該聖堂が捧げられた聖人の一代記などを見ることができる。さらに壁の下の方や柱には、預言者や修道士、主教、殉教者などの様々な聖人が、ほぼ等身大の立ち姿で描かれている。聖堂内の会衆は、あたかもこれらの聖なる人々と共に祈りを捧げているかのような感覚にとらわれることになる。また、西方の壁(入り口がある側)は「最後の審判」の図で埋め尽くされている場合が多い。
ここで、実際の聖堂内部がどのようなものであるか、サンプル程度に画像を載せておきたい。
共にモスクワ・クレムリン内にある聖堂で、左はブラゴヴェシシェンスキー(受胎告知)聖堂の円蓋を下から見上げたところ、右はウスペンスキー聖堂の西側の壁に描かれた最後の審判の図である。写真では、実物の雰囲気が万分の一も伝わらないのが遺憾なところだが。
続いてはいよいよ、聖堂内でも最も重要な部分である東側の空間を見てみることにしよう。
最初に示した平面図をもう一度ご覧頂きたいのだが、聖堂の東側には半円形(多角形の場合もあり)の張り出しが3つ並んでいる。これをアプシダ(後陣)という。アプシダは聖堂のサイズに合わせて1つか3つ、稀に5つ造られることもある。つまりロシアの聖堂を外から見た時、半円形の出っ張りがあれば、そちらが東側だと思えばいいわけだ。
アプシダ内部の空間はアルターリ(至聖所)と呼ばれ、聖堂の中でも最も重要な場所となっている。語源はラテン語のalta araすなわち「高い場所」であって、実際に他の場所と比べて一段高く造られている。そして、アルターリが象徴しているのは原罪以前の楽園・神の国なのである。
ただし、一般の信徒はこの神聖な空間へ自由に足を踏み入れることはできない。まず、アプシダの外壁(つまり聖堂東側の壁)に入り口が設けられることはなく、聖堂外から直接アルターリへは入れないようになっている。そして聖堂内においても、アルターリとその外部空間の間には、イコンを嵌め込んだ背の高い壁、すなわちイコノスタス(聖障)が立ち塞がっている。聖堂の中心で可視的に天を体現している円蓋と異なり、アルターリの方は神の国の不可視性をシンボライズしている、と言えるかもしれない。そしてイコノスタスは、地上世界と天国との境界を示す、重要な役割を負っていることになる。
このイコノスタスは、ロシアの聖堂には欠かせない存在であり、その大きな特徴となっている。
もともとビザンツ帝国からキリスト教が入ってきた時、最初に伝えらえた聖堂建築では、アルターリとその外部空間との境目には背の低い柵が設けられているだけであった。しかしロシアの聖堂では、この柵はイコンを取り込みながら大型化するという独自の発展を見せ、遂にはアルターリをほぼ完全に覆い隠すに至る。その際、もともとアルターリの壁に描かれていたフレスコ画のテーマは、その一部がイコノスタスに吸収されていく。そして、現在見られるような多層型の、所謂「ヴィソーキー(背の高い)・イコノスタス」は、14から15世紀頃に登場している。
左に示したのは、イコノスタスにおけるイコン配列の模式図である。例外も少なくはないものの、このような5層式のイコノスタスが最も一般的となっている。
まず1番下の列では、中央にツァールキエ・ヴラータ(王の門)を置き、その左右に1枚ずつのイコン、その外側にはさらに扉とイコンが交互に配されている。ツァールキエ・ヴラータの右にはキリスト、左には聖母のイコンがあり、一番右外には当該聖堂で、また左外にはその地方で特に崇拝されているイコンを見ることができる。
その上、つまり下から2番目の列をデイススという。デイススの中心には救世主キリスト、その左右には聖母と洗礼者ヨハネを初めとする聖人や天使たちが、いずれも全身像で描かれている。ここでのキリストは、最後の審判における裁き手であり、一方聖人や天使たちは人間のために取りなしを行っている。デイススはイコノスタス中で最も重要な列であり、スペースの関係等により他の列が省略された場合でも、デイススが省かれることは決してないという。
3列目のイコンは、正教会の祭日に捧げられたものである。その中心は主の降誕、洗礼、受胎告知、聖母の就寝などの12大祭であるが、イコノスタスのスケールに合わせてイコンの数も変わることがあるようだ。
それより上の列は旧約聖書の世界となっている。4列目はモーゼ以降の時代を生きた預言者たちの列であり、ダビデやソロモン、ダニエルなどが、預言の書かれた巻き物を手に並んでいる。また、列の中央は聖母のイコンの場所である。そして第5列目は、中央に旧約の三位一体を配し、その左右にはアブラハムやヤコブ、モーゼ、ノアといった族長たちのイコンが並ぶ。さらにその上(つまりイコノスタスの最上部)には、しばしば十字架が立てられている。
例示した図は真っ白なので味気ないが、実際のイコンは色彩豊かに描かれており、また枠の部分は手の込んだ浮き彫り細工と金箔で飾られることが多い。イコノスタス全体の大きさと相まって、見る者に与える印象は圧倒的でさえある。ロシアの聖堂において、ビジュアル的な点では最も大きな注目を集める要素の1つだろう。
ただしイコノスタスは、単にイコンを連ねただけの美麗な装飾ではない。聖堂の他の部分がそうであるように、イコノスタスもまた重要な象徴的意味合いを持つものである。
イコノスタスを上から下へ順番に見ていくと、それがキリスト教における人類救済の歴史を象徴していることに気がつかれるかもしれない。すなわち旧約における族長の時代(アダムからモーゼまで)、預言者の時代(モーゼ以降)、12大祭に象徴される聖母とキリストの生涯、最後の審判、そして神の国へ。つまり一番下の列の中央に位置するツァールスキエ・ヴラータは、天国への門を意味しているわけだ。
もしも機会があれば、奉神礼(典礼)の時に合わせて聖堂を訪れるとよい。普段は閉ざされているツァールスキエ・ブラータが開き、聖職者がここから出入りして儀式を進行していく様を目の当たりにできるだろう。これは、聖職者が(アルターリに象徴される)神の国と信者たちとを結ぶ仲介役であることを象徴するものと思われる。
かかる儀式の際には、きらびやかな衣を身につけた聖職者たちが力強い声で祈祷を行うと、聖歌隊や堂内の会衆がそれに応じて唱和し、聖なる歌を歌う。正教会は鐘を例外として全ての楽器の使用を禁じており、神の歌は人の声だけをもって歌われねばならない。その歌声が、頭上に円蓋を頂く聖堂内の空間に響き渡るのである。さらに、イコノスタスと聖職者の衣は照明に照らされ、幻想的な輝きを放つ。まことに儀式のためには完成された空間であると言うしかない。もちろん、信仰と儀礼の関わりをどのように評価するかは、また別の問題である。
肝心のアルターリ内だが、中央にプレストール(宝座)という方形の台があり、その上には福音書と十字架とが置かれている。また、アルターリの壁には聖母像を描く場合が多い。もっとも、これらは背の高いアルターリによってほとんどが覆い隠されてしまい、信徒の目に触れる機会は少ない。● ● ● ● ● ● ●
以上で、ロシア聖堂の内部構造についてのガイドを終えることにしたい。外部の説明に比べて長ったらしく、バランスが悪くなったのはご勘弁。どうしても、聖堂のシンボリックな意味合い云々の解説を短くまとめることができなかったもので。
ただし外編の場合と同じく、これはあくまでも基本的な図式であるということをお断りしておく。実際の聖堂には、大きさといい構造といい豊富なバリエーションが存在している。例えば、最初にも触れたように柱の数は4本とは限らず、聖堂のサイズに応じて増減する。また、「貴賓席」として吹抜け指揮の2階部分を設け、皇帝や大公一族の礼拝に使用した聖堂や、建物内が上下2段(あるいはそれ以上)に分かれていて、それぞれの階が別の教会として機能している聖堂がある。さらにイコノスタスにしても、聖堂によって大きさは異なるし、ペテルブルクのカザン聖堂の如く例外的に丈が低いものさえ存在している。
ただ、聖堂の基本的な要素、方角やそれぞれの部位が持つ意味については、大凡ここでご説明申し上げた通りである。これらの原則を具体的な諸条件の中に当てはめながら、1つ1つの聖堂が造られているわけだ。ロシアの聖堂を訪れたなら、基本的な「約束事」が実地でどのように応用されているか、確かめてみるのもいいだろう。
実際のところ、ロシア正教にも建築学にもそれほど知識の深くない人間が書いているので、教会建築の解説としてはそれほど完成度の高いものではないかもしれない。それでも、実際にロシアの聖堂を見学する機会のある方にとって、幾分なりとガイド的な役割を果たすことができればと思っている。またもし、この拙いテキストを通じてロシアの聖堂に関心をもたれた方が増えるのであれば、それは望外の喜びである。※使用した画像のうち、最初の教会平面図はЛе Пти Фютеのガイドブックシリーズ"Ярославская область"18ページ、また最後のイコノスタスの図は同シリーズ"Золотое кольцо"20ページより転載した。その他の写真は全て筆者の撮影したものである。
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(04.12.21)
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