ロシアの歴史的景観
(ウラジーミル・スーズダリへの旅)2001年6月28日から7月1日まで、ロシアの古都・スーズダリとウラジーミルを訪れてきた。その昔、北東ルーシの中心としてキエフと覇を競ったこの両都市は、現在では歴史を感じさせる古い街として観光客の人気を集めている。モスクワより北東方向に点在する古い街々、いわゆる「黄金の環」に数えられていることでも有名であろう。
スーズダリ・ウラジーミルを訪れることは長年の夢であったし、実際に多くの貴重な体験をすることができた。キエフ・ルーシに関心を持つ者として、この両都市に残る数々の歴史的遺産を目にすることができたことによる感動は計り知れない。しかし街そのものについて語る前に、まずはそれを取り巻く景観について少しだけまとめておきたい。
モスクワを起点として考えた場合、ウラジーミルは西北西の方角に190キロ、またスーズダリはその北方35キロの地点にある。現代であれば、このようにモスクワを中心に据えた記述はごく自然に受け入れられることだろう。ただ、この両都市が最初からモスクワに付属する形で発生したと考えるのは誤りに属する。事実としてはむしろ逆で、はるかなるキエフ公国の時代、北東ルーシの首府としてまず最初にスーズダリとウラジーミルが繁栄を見せた。後発の小都市・モスクワが次第に成長し、全ロシアに号令する存在となっていくのはそれから数百年も後の話である。
現在、この二つの都市は規模においてモスクワに大きく差をつけられ(もっともモスクワはロシアの中でも特別な一極集中都市と言えるのだが)、殊にスーズダリには鉄道すら敷かれていない。そうした事情もあり、今回の旅ではモスクワから鉄道でまずウラジーミルに向かい、更にバスを使ってスーズダリへ入ることにした。モスクワのクルスク駅を出発し、数少ない直通列車をつかまえれば約3時間でウラジーミルに到着することができる。
さて、電車の旅である。日本であれば、歌にも歌われるように「野を越え山越え、谷越えて」というような風景が想像されるだろう。いずれにせよ、3時間も汽車に揺られるなら少しくらいは景色が変化してしかるべき…と我々は考えるかもしれない。
しかし、ロシアではそうはいかない。
モスクワからウラジーミルまでの190キロに車窓から見えたのは、「野」はともかく山や谷では断じてなかった。トンネルを一度もくぐらない、というのも日本的な汽車の旅では考えにくい現象であろう。ロシアの大地はあまりにも平坦にして起伏に乏しく、3時間程度の旅路で丘陵や渓谷を目にせずとも何の不思議もないのである。
最も多く目についたのは森であった。ロシアの景観イメージとして思い浮かべられるのはまず広大な草原か森林であろうが、ごく大雑把に言うならウラジーミルやスーズダリを含む北部ロシアは森の世界であって、開発が進んだ21世紀にもなお多くの土地が木々に覆われたままになっている。モスクワを離れると途端に車外の風景は緑一色に変じ、後はウラジーミルまで延々と森林が続く。しかもシベリアに見られる端正な針葉樹林(タイガ)ではなく、雑然とした印象の強い混合樹林であったため、余計に「野性的な」森林と感じられる。植物学の知識に乏しいので木々の種類まで特定することはできないのだが、少なくとも白樺と松の2種類はよく目立っていた。
ロシアの森林は、その稠密さに特色があるという。あるいはその通りかもしれない。列車が森のすぐそばを通るときなど、重なり合って生い茂る木々が陽光をさえぎり、薄暗く感じられるほどであった。しかもそうした光景がとぎれることなく続き、人工物はまったく目に入らない。日本と違い、この向こうに人家ありと想像できるような薄っぺらい森林ではないのである。時には、森の中から農村が思いがけず視界の中に飛び込んでくることもあるが、それらは例外なく森によって黒々と縁取られている。木やレンガをベースとした伝統的な家の外観とも相まって、自らの力で森を切り開いた開拓者の時代を強くイメージさせる光景であった。
かつてこれらの森に挑んだ人々は、いかなる苦労を強いられたであろうか?文字通り鬱蒼たる森林を切り開き、農地を開墾し、そして住居を作り上げるまでに費やした労力は並大抵のものではなかったはずだ。また、起伏の少ない平地の国・ロシアでは、森林に取り巻かれることによって意外なほど世界が狭まることもよく分かった。とにかく、見通しというものがまったく効かないのである。圧倒的な森の世界によって団結を妨げられた人間たちは、恐ろしいまでの孤独と戦いながら大自然と向き合わなければならない。古代人の観念の中に、自然を「神」という絶対的な存在として捉える心性が生まれたのも道理である。現代の都市生活者がこの森林の中に放り込まれたら、物質的な欠乏もさることながら、あまりにも巨大な自然の重圧により精神的に押し潰されてしまうのではないだろうか。
しかし一方で、ロシアの森林は人々にとって安全な隠れ場所をも提供していた。その昔、南方・ステップ地帯の遊牧民による襲撃から逃れた人々も、また第二次大戦でドイツ軍に抵抗したパルチザン部隊も、迷路のごとき森の中に避難することで敵からの追及をかわしたのである。実際、互いに絡みつくかのように密生した木々や散在する湿地帯は、追っ手の足を止めるに十分であろう。とりわけタタールなど騎兵の活動には大きな障害物となるはずだ。今まで知識としてしか知らなかった森の「歴史的役割」が、何となく実感できたように思われた。
もちろん、この地方の全てが森林で覆い尽くされているわけではない。今回の旅行ではウラジーミルからスーズダリへ、またユーリエフ・ポリスキーという小都市へバスで移動したのだが(いずれこのコーナーでもレポートする予定)、車窓の外に見ることができたのは広大な草原と畑の世界であった。視界一杯に緑の草地が広がり、そのところどころ、さながら大海に浮かぶ孤島の如くに黒い森が点在している。同じくあちこちに散らばる農村はのどかな雰囲気を漂わせ、丸々太った鶏や牛の様子が何とも微笑ましかった。そして、村のランドマークとして遠くから目立っているのはやはり教会建築。我々の目にはあくまでもエキゾチックな存在として映るのだが、ロシアの人々にとってはこの上なく自然で、懐かしさを伴う光景なのかもしれない。
意外に感じられたことが一つ。さえぎるものなきロシアの大平原だが、実は波のようなうねりを伴っていることが多い。その意味でも大海原に例えることは適切であろう。バス道は緩やかに丘を上ったかと思うとすぐに下降を繰り返し、そして「波」の谷間(小川や沼地となっている場合もある)では意外なほど見通しが利かない。バスの進行に従って、周囲の景色も現れたり消えたりを繰り返しながら移り変わっていくという、何とも奇妙な感覚であった。かのイーゴリ軍記で、故郷のルーシが丘の彼方に隠れてしまった、と歌われているのも不思議ではない。
こうした草原が自然の地形によるものか、あるいは人の手によって森林が開墾された結果生じたものかは分からない。しかしスーズダリを含むこの地方は、北東ルーシの中でも早くから開けた先進地であった。また「ユーリエフ・ポリスキー」という地名自体、語源的には「平野(ポーレ)のユーリエフ」を意味していることなどから、おそらくは元からの草原であったか、非常に早く森が切り開かれたと考えてよい。勃興しつつあった北東ルーシ諸都市の人口を養うには、農地の確保が欠かせないからである。ウラジーミルまでの広大な森林同様、この平野もやはりロシアの歴史的景観なのであろう。
(01.12.01)
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