スーズダリ

 スーズダリという都市の名が史料に現れたのは遅く、1024年に異教徒が反乱を起こしたとき、その中心地として原初年代記に記されたのが初めてである。しかしこの街の原型が出来上がったのはこれよりずっと先で、10世紀までにはすでに人が住み始めていたらしい。街は蛇行して流れるカメンカ川のほとりにあるが、この川を少し下ればネルリ川に、そしてクリャジマ川へと容易に至ることができる。クリャジマは更にヴォルガの支流・オカ川に注ぎ込んでいるから、スーズダリも北東ルーシに張り巡らされた河川網へとリンクされていたわけだ。
 最初に北東ルーシの中心となった都市はロストフであるが、12世紀、かのユーリー・ドルゴルーキー公(1157年没)がこの地方を治め始めるに及び、スーズダリも台頭を始める。キエフ大公の権威が低下した群雄割拠の時代、ユーリーが北東ルーシに蟠踞しつつ南方への征戦を繰り返したとき、拠点となったのはスーズダリであった。後に首都の座は新興のウラジーミル市に奪われるのだが、その後もこの地方全体が引き続き「スーズダリの地」と呼ばれることも多かった。
 1238年のモンゴル軍による北東ルーシ攻撃で、スーズダリが劫略されたかどうかは定かでないらしい(降伏・開城した可能性もある)。いずれにせよ、いわゆる「タタールのくびき」の時代にも街は存在し続け、時にはモスクワとも大公位を争うほどの勢いを示している。しかしロシア統一を進めるモスクワ大公国の前に早い段階で独立を失い、併合されるに至った。その後、17から18世紀には商工業の中心地として繁栄した時期もあったものの、現在は人口13000という地方の小都市に落ち着いている。街の豊富な歴史を物語る史跡の数々はよく知られ、ユネスコ・世界遺産に登録されたことも有名であろう。

 スーズダリには8年前に一度だけ来たことがある。しかしモスクワからバスで片道4時間の街を日帰りで見学するという無謀、見学にあまり時間をとることができず、印象は薄いものであった。当時はスーズダリの歴史に関する知識も少なく、教会の林立する美しき田舎町、というほどのイメージしか残されていない。
 今回の訪問は2001年6月28日と29日、やはりこれくらいの時間をかけないと駄目なようである。朝早くモスクワを出発、まず3時間かけて電車でウラジーミルへ、そこからバスに乗り換えてスーズダリを目指す。しかしこのバスが非常に混み合っていて1時間近く立ちっぱなし、しかもやたらに暑いし空気は悪い。全てセッティングされていた8年前の貸し切りバス旅行が、いかに快適なものであったかを思い知らされた。
 もっとも、旅に不便はつきものである。それに窓の外を流れていくのどかな農村風景は魅力的で、心和まされるものであった。ウラジーミルの街を出ると、スーズダリまでの間に「都市」と呼べるような地区はほぼ見当たらない。そしてスーズダリ自体も、遠目には農村と見まごうほどの小さな町なのである。
 

 バスはやがてスーズダリ・バスターミナルに到着したが、ここで降りたのは少し早とちりだったかもしれない。ターミナルは町から少し離れており、そのまま乗っていれば中心まで連れて行ってくれたからである。とは言ってもせいぜい1キロくらいの距離、美しい風景を楽しみながら散歩がてらに歩くのも悪くはない。
 ターミナルから町まではヴァシーリエフスカヤ通りに沿ってまっすぐ歩けばよい。前方に教会の丸屋根や鐘楼で飾られた集落(としか表現できない)が見えるのだが、それがスーズダリである。また道の両側に並ぶ家並みも、伝統的な木造建築で目を楽しませてくれる。特に窓枠のデリケートな彫刻は素晴らしい。この地方では古い家屋だけでなく、新築の家も古式ゆかしいスタイルで統一することが多いようだ。そうかと思うと、数頭の馬がつながれもせずに道端で草を食むという光景にも出会った。さすがにそのすぐ横を通るのは少し怖かったが。

 ヴァシリエフスカヤ通りが尽きると、町のメインストリート・レーニン通りにぶつかる(余談だが、スーズダリには古いソヴィエト時代の地名がまだ残されているようだ。クルプスカヤ通り、エンゲルス通り、赤軍通りなど)。メインと言っても、町全体の規模からして非常に小さいもので、通りの幅は狭いし車もあまり通らない。馬車の絵が描かれた道路標識(馬車駐車禁止?写真参照)なんてものがあったりする。近代的で大きな建物はほとんどなく、その代わりに古めかしい教会が所狭しと立ち並んでいる。要するにこの町は、中世に栄えた都市の化石である、と言っていいかもしれない。
 ヴァシーリエフスカヤとレーニン通りが交わる辺りは、ちょっとした広場になっている。白い壁の美しい教会がいくつか、町の外からやってくる人々を迎えてくれる。屋根はロシア独特の玉ねぎ型スタイルだが、銀色に塗られてピカピカに光っているというのはあまり見かけない(金ならよくあるのだが)。教会のくせに何だかSF的な印象なので、宇宙教会とでも呼んでおこう。さらに広場には、列柱に支えられた白塗りの細長い建物(写真参照)が残されている。19世紀のアーケード街であるらしく、現在は土産物屋やカフェなどが入っていた。
 アーケードの裏手に回ると、小さな美しい川の流れを見下ろすことになる。これがカメンカ川である。スーズダリという町はカメンカ川沿い、正確にはその東岸に位置している町で、レーニン通りはほぼこの川と並行して走っている。この位置から川を眺めればすぐに分かることだが、北岸は向こう岸に比べて高く、川に面した細長い丘陵をなしている。モスクワ・クレムリンコロメンスコエ、あるいはこれから見るウラジーミルも同じような形態で、川の一方の岸だけが高く、その上に街や要塞、宮殿が築かれている。古代ロシア都市に多いスタイルかもしれない。河川は重要な交通路であり、さらに比高差を利用した防御効果も望めるとすれば、これは確かに有用な地形であったはずだ。


写真中央を流れるのがカメンカ川。左手がスーズダリの町のある東岸である。対岸に比べて小高い丘状になっているのがお分かりいただけるだろうか。

 広場から左斜め前方に延びる道を進むと、かつてのスーズダリの中核・クレムリに至る。確か8年前もそうだったが、観光客向けの馬車や馬がたむろしていることの多い道である(道理で馬車用の道路標識があるわけだ)。全体この町では馬を見かけることが多く、しかも馭しているのはほとんどが10代の子供だった。希望者を馬に乗せて、それでお金を取るわけだ。町の周囲では家畜の放牧を見かけるので、あるいは農家の子供たちが家の馬を使ってアルバイトしているのかもしれない。また同じ道では、バッジなどの土産物が道端でよく売られている。その傍ら、非常に素晴らしい音色でアコーディオンを弾いているおじさんもいた。
 クレムリはカメンカ川のほとりにある。起源はユーリー・ドルゴルーキーの時代にまでさかのぼる古いもので、モスクワ・クレムリンのようにレンガ造りの立派な要塞ではない。それでも土塁と空堀が比較的よく残されているし、クレムリ内の聖堂や博物館なども興味深い。また土塁の上から見下ろす対岸の景色には、何とも言えない魅力があった。広々とした川岸には牛が群れ、土地の人々が身の丈ほどもある鎌を振り回しては草を刈っている。観光化された作り物の「田園」にはない、本物の生活を感じさせる農村風景であった。
 また、カメンカ自体も魅力的な川と言える。これは本当に小さな、緩やかな川で、護岸工事などはもちろんされていない。辺りは一面の緑色、繁茂する水草によって岸辺と水面との境界も不分明となっている。その中で川に泳ぎ、あるいは馬を水に飲ませようとする子供たちの姿は、非常にのどかで楽しげなものだ。

 ところで、クレムリの対岸をもう少し進んだところには木造建築野外博物館がある。よそから移築したのか復元したのか、とにかくロシアの伝統的な木造建築物を一箇所に集めて公開したもの。今回は時間がなくて入らなかったのだが、8年前には来ているのでおぼろげながら記憶に残っている。木でできた大きな風車、それに鱗状の木材で葺いた見事な丸屋根を持つ教会が印象的であった。ロシア建築に関心のある人なら、この博物館も見学コースからは外せないであろう。

(02.01.22)


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