スーズダリ2
ここでレーニン通りにまで戻り、今度は左手(北)の方へ歩いてみることにしよう。クレムリは市街地のほぼ南端にあるから、その他の名所旧跡を見ようと思えば北に進むよりないわけだ。本当に小さな町なので、歩きでほとんどの用事が足りてしまうと言っていい。
何よりも目立っているのはやはり教会建築。至る所に、という表現がそのまま当てはまるような光景である。しかしながら、よく見ると実際に活動している教会ばかりではない。例えば広場のアーケード商店街裏手にあった小さな教会は、屋根も外壁もきれいなものだが、窓から覗くと中はがらんどう。また少し北に進むと、まるで白地に濃緑色・焦げ茶・黄色を塗り分けたまるで玩具のような可愛らしい教会がある(写真参照)。これも閉鎖されていて、お勤めなどは行われていないようだ。実のところ、町の人口に比して教会の数は多すぎるのであろう(現地で買った地図によれば、20世紀以前にはさらに多くの教会があった由)。それでも観光上の必要から、外観だけは美しく装われているわけだ。
一方で、最初にヴァシーリエフスカヤ通りで見たような木造農家・伝統的な窓飾りの彫刻もスーズダリには多い。人目につきやすい市街地の表通りのみならず、対岸の農村地区にまで(しかも新築の家にまで)同じような建築スタイルが使われていた。こちらの方は観光客向けではなく、伝統が今も生きているからであるように思われる。いずれにせよ、古色蒼然たる家並みがこじんまりした町のサイズによく合っていて、あまり観光地臭さを感じさせなかった。
それはさて、レーニン通りをもう少し北に歩くと、右手に修道院・左手に広場が現れる。まず修道院だが、これはリゾポロジェンスキー女子修道院である。レンガの塀を巡らした堂々たる修道院で、実は今回の宿舎となったのがここである。しかし正直なところ随分くたびれていて、そこかしこに荒廃が忍び寄っているとも言えるのだが、これについてはまた後ほど触れることにしよう。
修道院から通りを挟んだ形になるのが赤の広場。モスクワのアレと同じ名前である。かつてロシアで「赤」という言葉は「美しい」と同義で、地名などにもよく使われていた。しかしスーズダリの赤の広場は、もちろん赤くもなければ美しいとも言いがたい。やたらにがらんとしていて殺風景で、日本の地方都市でよく見かける駅前の寂しい広場を思い出させる。大きな違いは、中央にレーニン像が立っていること。ソ連崩壊から年を閲すること10年、まだまだ頑張っているレーニン像もあるわけですね。町全体の雰囲気のせいか、レーニンもどことなくもの悲しげに見えた。
さらにレーニン通りを歩く。しばらくは教会も目立たず、何の変哲もない町並みが続くのだが、やがて先ほどのリゾポロジェンスキーにも増して巨大な修道院が現れる。同じように頑丈なレンガ造りの塀で四方を守り、正面には巨大な塔が来訪者を見下ろしている。第一印象は城塞以外の何物でもない。しかしこれはやはり聖職者たちの庵なのである。名をスパソ・エフフィミーエフ修道院という。スーズダリの名所旧跡の中でも、目玉と言っていい建築物だろう。もちろん、我々もゆっくりと中を見て回った。
スパソ・エフフィーミエフ修道院の裏手(レーニン通りの反対、つまり西側)はカメンカ川に面した丘となっている。上の写真に示した通りで、立地条件からもこの修道院が砦としての機能を持つことが分かる。スーズダリの町自体、対岸よりも隆起した西岸上に位置していることは先に書いた通り。ただし東岸にも歴史のある修道院や教会は多く、完全に人が住んでいなかったわけではないようだ。
その対岸へは、斜面を下り、カメンカ川にかかる木橋を渡って行くことができる。しかし、木橋の向こうから馬を連れた少年がこちらに渡ってきたので、まずこれをやり過ごさなくてはならなかった。スパソ・エフフィーミエフ修道院の近くに観光客の一団を認めた少年は、馬を駆けさせ、先ほど我々が下ってきた斜面を登っていく。彼らを馬に乗せ、また写真を撮らせてはお金をもらうのが少年の仕事である。いかにも田舎の観光地にふさわしい後景だが、緑の丘を無心に馳せ登る少年と馬の姿からは、一種詩情ともいうべきものが感じされた。
さて、改めて対岸(東岸)へ。もともと小さなスーズダリの町だが、歴史的に中心となってきた西岸にも増してのどかな印象を与えるのが東岸である。ほとんど農村と言ってよく、蛇行するカメンカ川に沿った低地は放牧地となって、牛が草を食む姿が印象的だった。おそらく春先は雪解け水で冠水するだろうから、あまり川の近くまで家を建てられないものと思われる。
東岸側でおそらくもっとも目立っているのがポクロフスキー修道院。先ほどのスパソ・エフフィーミエフから見て、ほぼ対岸に位置している。開基は1364年、17世紀になると失寵した皇后や貴族家庭の女性たちが流されたという悲劇の修道院でもあるらしい。スパソ・エフフィーミエフ修道院の赤レンガに比べて、こちらは白い石造りの塀に囲まれた、やはり要塞のごとき造りとなっている。現在修道院の中にはホテルが開かれているが、あまりにも高いので泊まらなかったし、時間の関係から中に入ることもできなかった。また今度のお楽しみとしたい。
その後は、あてどもなくひなびた田舎道の散歩を楽しんだ。伝統的な彫刻で飾られた木造の農家、クラシックなスタイルの車やサイドカーつきオートバイ(田舎には多い)、家の周りの菜園で汗を流す人々、そして溢れんばかりの緑。まことにロシアの夏の農村とは美しいものだ。特に歴史なぞに興味がなくとも、スーズダリでは充分に楽しむことができる。「古都」としての歴史的スーズダリと、あるがままの農村としての現スーズダリ。どちらもそれぞれに魅力的で、訪れる人を惹きつけずにはいられないだろう。
(02.11.25)
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