スーズダリのクレムリ
かつてスーズダリが北東ルーシ諸公国の雄として君臨していた時代、街の中枢となっていたのがこのクレムリ(城塞)である。モスクワなど他の都市のそれと違い、今やスーズダリのクレムリは石やレンガの城壁ではなく、単なる土塁としてしか残されていない。もっともそれだけに、いにしえの姿をより忠実に伝えているとも言えるのだが。
スーズダリのクレムリは、ほぼ台形に近い形状をなし、周囲を大がかりな土塁で囲まれている。地図で見るなら、カメンカ川が大きく蛇行し、あたかも半島のような場所に築かれていることがわかる。つまり三方を川に囲まれた、防御に適した地形というわけだ。もちろん陸続きとして残る一方も、堀と土塁とで守りが固められている。さらに、クレムリンの背後に広がるスーズダリの街自体が、かつては土塁や堀で守られてた城塞都市であった。クレムリはいわばその内城にあたる部分だったのである(もっとも、ロシアの古い街ではこの形式が普通であった)。その敷地は広大なもので、「城」というよりはむしろ、街の中枢をなす一区画と表現した方が適切かもしれない。
今日、クレムリを囲む土塁の上には何も残されていない。ただ緑の草が風にそよぎ、あるいは所々に木が生えているだけである。かつてはこの土塁の上に頑丈な丸太組の城壁が設けられ、要所には物見櫓も据え付けられていたことだろう。もちろん、それらは歳月と共に朽ち果て、今では跡形もなくなっている。しかしスーズダリのクレムリが、他の大都市のごとくレンガや石組みで改築されていないのは不思議だが、その代わりにスパソ・エウフィミエフなどいくつかの修道院は頑丈なレンガの壁で守られている。後代になると、街の防御の中心はそうした修道院群に移ったのかもしれない。木製のクレムリは18世紀まで残っていたが、最終的に火災によって失われた由である。
もともと街のあるカメンカ川東岸は、対岸に比して小高い地形となっている。そこに盛り上げられたクレムリの土塁からは、対岸の景色がよく見渡された。かつて威容を誇っていたであろう城塞も今は草むす土塁のみ、「兵どもが夢のあと」というにはあまりにものどかな後景である。
広大なクレムリの内部に建物は少なく、ほとんどが緑の草原となっている。観光客や地元の人々がそこかしこにくつろぎ、あるいは山羊が草を食むという、完全な憩いの場の趣がある。しかしもちろん、ここに歴史的な建築物がないわけではない。遠くからでも容易に見分けることができるのが、スーズダリ最古の教会・聖母生誕聖堂(ロジェストヴォ・ボゴロジツィ聖堂)の丸屋根である。この教会はまず、11世紀から12世紀にかけて、レンガ造りのウスペンスキー聖堂として築かれたが、これは北東ルーシでも初の石造教会という記念碑的なものであった(古代ルーシでは、石の教会を造るということ自体が大変な事件である)。そして12世紀には白石で建て替えられ、1222年から25年に聖母生誕聖堂として生まれ変わっている。
残念なことに、8年前に訪れたときと比べると聖堂の老朽化が目についた。かつては青く輝いていた5つの丸屋根も、今では塗りが剥がれて錆色となっている。また、壁に塗られた漆喰も剥がれ落ちてしまい、お世辞にも手入れが行き届いているとは言い難い。モスクワでは「建都850年祭」などで多くの教会がピカピカになったのに、地方は常に後回しにされるわけだ。ただ、この聖堂でもようやく修復工事が始まっていて、背の高い尖塔には足場が組まれていた。工事完了までには数年間を要するという話で、それまで聖堂の中を見学することはできそうもない。
聖母生誕聖堂の対面にある、やはり白石作りの建物がクレースナヤ・パラータと呼ばれる建物である。「十字架の館」とでも訳すことができるだろうか。15世紀から18世紀にかけて造られた建物で、かつては高位聖職者の館だったのだが、現在は歴史博物館となっている。展示品は非常にすばらしく、別にまた一章を立てて紹介することにしたい。
パラータの一角は「トラペズナヤ(修道院の共同食堂のこと)」という名のレストランとして利用されており、折角なので入ってみることにした。モスクワのレストランに比べるとさすがに安い。味もいい。伝統的なレシピで作られたロシア料理を出すとのことで、魚料理を頼んでみたが、素晴らしく美味なものであった。その上、近くのテーブルに座っていた金持ちそうな親父たちが呼んだらしく、民族衣装に身を固めた民謡アンサンブルの人たちがやって来て、金も払わずにその歌や踊りを楽しむことができた。巨大なノコギリを使った演奏なんか感動ものである。映画「デリカテッセン」でもやっていましたね、この技。
聖堂とパラータの近くでは、木造の小さなニコラ教会が目を惹く。玉ねぎ型の丸屋根まで全て木で造られていて、ロシア木造芸術のお手本とも言える教会である。ただし元からここにあったのではなく、外から移築されたものであるとのこと。
スーズダリ・クレムリンの見所というと、以上の建築物が中心となるだろう。しかしもし時間があれば、半島地形のクレムリで唯一川に囲まれていない東側を歩いてみることをお勧めする。かなり浅くはなっているものの、土塁の外側に空堀の跡を観察できるからだ。あまりにも地味ではあるが、「要塞」というクレムリ本来の機能を今に伝えるものとして、やはり見落としたくはない遺構である。
クレムリ東辺の土塁と空堀跡。分かり辛いが、右手の窪みが空堀である。
(02.12.28)
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