クレースナヤ・パラータ
クレースナヤ・パラータ(十字架の館)は、聖母生誕聖堂と並んでスーズダリ・クレムリの中心的な建築物である。15世紀から18世紀にかけ、スーズダリ主教(16世紀末以降は大主教)の居館となったのがこの建物なのである。
現在のクレースナヤ・パラータは、改修されて郷土史博物館として使われている。おそらくソ連時代に政府が接収したのだろう。いまだに正教会側には返還されていないようだが、スーズダリの今の規模から考えると、大主教区そのものが廃止になったのかもしれない。さらにその一角がレストラン「トラペズナヤ」として営業しているのは前にも書いた通り。
それでは、クレースナヤ・パラータの中へ。これは全体が白く塗られた石造の建物で、それほど背が高くない代わりに細長くてかなりの広さを持つ。幅の広い石段を上り、建物内に入ったところがすぐカッサ(受付)となっている。カッサではいろいろな土産物やパンフレットを売っているから、一通り目を通しておいてもいいだろう。さすがに有名な観光地だけのことはあり、英語やドイツ語のパンフレットまで置いてある。
券をもぎりのおばちゃんに渡して順路を進む。まず最初の広い部屋は、かつての公務室ででもあるのか、真ん中に大きな机が据えられている。が、展示物自体は多くない。壁にツァーリの肖像画(アレクセイ・ミハイロヴィチとその子イヴァン、ピョートル)などが架けられているのが目につく程度である。
真の展示は、次のホールから始まると言っていいだろう。ここはモンゴル襲来以前のスーズダリを紹介するコーナーとなっており、キエフ・ルーシに興味のある人間は必見である。例えば、聖母生誕聖堂(元ウスペンスキー聖堂)の変遷をたどるパネル。斧、鎌、ハサミ、穀物、装飾品などの出土品。スラヴ人が入植するまでこの地域で生活していたフィン系の種族、メリャの髪飾りなんてものもある。十字架は、異教時代の名残を残したものか装飾過多でおどろおどろしい印象さえ受けた。しかし何といってもこのホールで人目を惹くのは、かつてのスーズダリを模した大ジオラマだろう。これで見る限り、カメンカ川は昔はもっと水量が多かったようだ。また周囲を半円状に流れる川で守られたクレムリは、かつては残る一方向も水堀で遮断されており、島状に孤立していることが分かった。街全体が土塁でおおわれ、木造建築が立ち並ぶ様はなかなかに壮観で、古代ルーシに興味のある者ならしばらくは見飽きないだろう。
順路通りだとこの後はモンゴル襲来のコーナーとなるのだが、その前に分岐したルートがあり、そちらを進めば独立した小さなコーナーに出る。ここには13世紀の貴重な宝物である、聖母生誕聖堂の黄金の扉が展示されている。「黄金」といっても、本体はおそらく鉄製の黒く巨大な扉で、表面に金箔で様々な絵が描かれている。もちろん画のテーマは宗教的なもの(キリストの生涯、聖母や聖人、天使など)だが、あたかも漆器の蒔絵細工のような印象で、絵のタッチもどうしてか東洋的なものを感じさせる。人物の表情はいずれも生硬で禁欲的な印象を与え、それが却って独特の魅力を与えている。
絵と絵の間には唐草模様にも似た植物文様が描き込まれているが、これはスラヴ人の伝統的な意匠であるらしい。また扉の最下段には、グリフォンやライオンに似た様々な獣の姿を目にすることができた。そして扉の中央部には、やはりライオンの頭部を模した黄金のドアノブが据え付けられている(写真参照。パンフレット"The white stone architecture of Vladimir-Suzdal"15ページより)。植物文様といい獣たちといい、キリスト教以前の異教時代から生き残った伝統を感じさせるものである。ロシアには獅子はおらず、ましてグリフォンなど見た者もないはずだが、当時のロシア人にとって高貴な獣として受けとめられていたのだろう。
もとの順路に引き返し、「タタールのくびき」コーナーを見学。まずは中世ロシアの武具が飾られているが、嬉しいことにモンゴル弓のレプリカも見ることができる。馬上で扱うのに適しているものの如く、小振りだがいかにも強力そうなフォルム。その近くには巨大な矢じりが並んでいた。大きさから見てモンゴル弓ではなく、おそらく要塞守備か逆に攻城用の大型弓に使われたものであろう。ロシアの戦士たちが使った剣は、見るからに重量級という大型サイズで、刃がまっすぐに延びたスタイルから騎兵ではなく歩兵の使用に供されたと推測できる。
この後は、モスクワ大公国と覇権を争ったスーズダリ・ニジェゴロド公国、そしてモスクワによる統一が完成した16世紀以降の展示が続く。16世紀くらいになると歴史的遺物も質量共に豊富となり、例えばスヒマ僧(ロシア正教において最高の位階を持つ修道士)の衣が目についた。十字架や天使の他に髑髏(ゴルゴダの象徴?)などが縫い取られているのである。武器の種類も先ほどより多くなり、例えばモーニングスターのような手の込んだ打撃兵器、またポーランド軍が使ったサーベルも飾られていた。ちなみに17世紀初めのいわゆる動乱(スムータ)時代、スーズダリはポーランドとの戦いで重要な役割を果たしている。
面白いのは、スーズダリがしばしば貴人の流刑地に使われたことを示す展示物。例えばモスクワ大公ヴァシーリー3世(イヴァン雷帝の親父である)は、妻のソロメニヤが子を産まなかったため1525年にこれを離別、スーズダリのポクロフスキー修道院へと送っている。その哀れなソロメニヤの肖像画もここにある。また1698年、大帝ことピョートル1世は、皇妃エヴドキヤをやはりポクロフスキー修道院に入れた。エヴドキヤは皇太子アレクセイを生んでいるのだが、ピョートルに気に入られなかったためソロメニヤと同じ憂き目にあったのである。ピョートル改革に対する抵抗をテーマとした小さなコーナーでは、このエヴドキヤが中心的に取り上げられていた。しかし、「改革に理解のない保守的な妻」「修道院でも皇妃扱いを受けていた」云々と露骨に非好意的な扱いで、何とも気の毒な感じを受けた。一度フェミニスト史家にでも見せてやりたいものだ。
ピョートル改革と「抵抗勢力」の評価にとどまらず、全体的にソヴィエト時代の歴史観が色濃く感じられるのはこの博物館の特徴だろうか。例えば先のスーズダリ・ニジェゴロド公国は、モスクワによる中央集権化を妨げる分領公国の1つとして否定的に評価されている。また「反封建闘争」のように、階級闘争を重視する時代のタームもそのままになっていた。これに関連してか、教会の祭日の御馳走メニューなど、支配階級の奢侈と驕慢を物語るような遺物が大きく扱われている。ソ連崩壊から10年を経た今の目で見ると、この展示構成自体が歴史になってしまったという感慨すら起きるほどだ。
ただし最後には、1920年代初頭に行われた教会の大量破壊(と博物館化)についての展示などというものがあった。こればかりは、ソ連時代にはまず陽の目を見なかった企画だろうと思う。
さて、小生ごときの文才ではこの博物館の魅力を十分の一も伝えられないことを恐れるのだが。
とにかくここは面白い。とりわけ、ロシア史最古の時代から中世・近世史に興味のある人間にとっては、非常に見応えのある展示品ばかりである。その時代全体の流れから、スーズダリ地方が果たした役割に至るまで、目配りもよくいき届いている。もしもスーズダリを訪れる機会があれば、クレースナヤ・パラータにも是非足を運んでいただきたい。風光明媚なクレムリ周辺を散策し、クレースナヤ・パラータの博物館を見学し、その一角にあるレストラン「トラペズナヤ」で魚スープを楽しむなんてのは、モスクワでは決して味わえない贅沢だと思うのだがどんなものだろうか。
(03.02.06)
ロシア歴史紀行へ戻る
ロシア史のページへ戻る
ホームページへ戻る