キデクシャ
11世紀中頃、ロストフやスーズダリを中心とした北東ルーシに割拠し、遠くキエフの覇権をもうかがったユーリー・ドルゴルーキー公(手長公)。「モスクワの創建者」としても知られるユーリーの時代、それまで僻地にすぎなかった北東ルーシの実力は大きく伸張した。後のモスクワ大公国につながるこの地方の発展は、ユーリー公の時代に出発したと言うことができるだろう。
その「手長公」ことユーリーだが、彼は本拠地のスーズダリを北東ルーシ随一の都市として育て上げたばかりでなく、その郊外のキデクシャに自らの居館と聖堂を築かせている。もちろん、スーズダリ市中心のクレムリにも公邸が存在したであろうから、キデクシャの館は別邸ということになる。ユーリー公には、都会の喧噪を離れた田園趣味でもあったのか。
しかし歴史をさかのぼるなら、すでにユーリーの高祖父・ウラジーミル聖公も、キエフで同じようなことをやっている。ウラジーミルはキエフ郊外のベレストヴォという村に滞在することを好み、最後はここで亡くなった(年代記の記述を信じるなら、ウラジーミルは当初ベレストヴォに200人の妻妾をおいていたという)。またユーリーの子のアンドレイ・ボゴリュープスキー公も、ウラジーミル郊外のボゴリューボヴォに居を構えていた。
こうした慣行は一体どこからきたものであろうか。コロメンスコエの項でも書いたように、公の権力強化という観点からこれを理解することができるかもしれない。つまり公としては、一つの政治勢力として自らの権力を掣肘しかねない大都市からわざと距離を置くことで、支配の強化を図ったと考えられるのである。はるか後のことであるが、オプリーチニナ期にアレクサンドロフスカヤ村を拠点としたイヴァン雷帝などはその一例であろう。ユーリー・ドルゴルーキーの場合は、どのような意図のもとにキデクシャを選んだのだろうか。
スーズダリからキデクシャへは、町から東に延びるヴァシーリエフスカヤ通りをまっすぐ行けばよい。バスターミナルをこえてさらにしばらく歩くと、ネルリ川という小さな川に行き当たるが、キデクシャはその畔に位置している。ちなみにこのネルリ川はクリャジマ川に注ぎ、そのクリャジマ川はヴォルガ川の支流・オカ川のそのまた支流にあたる。また、スーズダリの町中を流れるカメンカ川もまたネルリ川に合流している。この立地条件は偶然ではないだろう。スーズダリもキデクシャも、北東ルーシで重要な役割を果たしていたオカ・ヴォルガ水系の河川交通ルートに組み入れられていたわけだ。
スーズダリからキデクシャへの往路、勝手を知らぬ我々は町中からタクシーを拾っていったが、これは全く無駄な費えであった。大した距離ではなく、道も分かりやすいから充分に歩いて行ける。殊に夏場であれば、左右に開けた草原の景色を楽しみながら、背の高い並木の陰をぶらぶらと歩いていけばすぐにネルリ川に着いてしまう。道の左手、川に面してなだらかな丘が広がる辺りが目的のキデクシャである。
現在のキデクシャの特徴は何もないということに尽きる。付近には数件の農家が立ち並ぶのみで、「村」と呼ぶのさえおこがましいほど。かつて、北東ルーシの覇者が居を構えたその場所とはとても思われない。スーズダリといいキデクシャといい、今は華やかな歴史の表舞台から退いて、過ぎ去りし日々の事どもを夢見ているかのようである。
唯一、ユーリー・ドルゴルーキー時代の遺物として残るのが、ボリスとグレープ教会である。ユーリー公の居館に付属する形で1152年に建設されたもので、幾多の荒廃を越えて今に伝えられている(居館自体はは跡形もなく消滅した)。玉ねぎ型の丸屋根を一つだけ持ち、白石造りでさほど大きからぬ、非常にシンプルなスタイルの教会である。ただ、外観は後代の修復工事によって、オリジナルとは大きく変化しているらしい。
ボリスとグレープ教会の中には12世紀のフレスコ画が一部残存しているという話で、もちろんそれを楽しみにして来た。ところが、行ってみると教会は締め切られていて一般に公開されていない様子。外壁もかなり汚れていて、あまり手入れされている感じではない。貴重な史跡であるのに、管理人さえもいないのだろうか?
教会の隣にはもう一つの小さな建物があったが、これが別の教会だったのか、あるいは聖職者の館だったのかは忘れてしまった(メモしておけばよかった)。また、川と反対側にある教会の入り口には、テント型の古い鐘楼が設けられている。これが何と、まるでピサの斜塔のごとく傾いていて見るからに危なっかしい。全体に、史跡としての保存が充分になされているとは言い難い状況にある。
また、この教会の左右は細長い窪地となっており、特に右手の方は河原から這い上がる道路として利用されている。これは、かつてユーリー公の居館を守っていた空堀の名残であるらしい。辛うじて残る土塁や空堀の跡から往時を偲ぶ、というのは関東の城跡を訪れていた頃によくやったのだが。
こういう次第で、純粋に史跡として見た場合、キデクシャは万人を満足させる場所とは言い難い。しかしそれでも、ここには足を運ぶだけの価値があると思う。ロシアの素朴な片田舎の風景を満喫するための、格好の散策地である。ボリスとグレープ教会の裏手は、ネルリ川に臨んでちょっとした展望台となっており、辺りを一望することができる。ネルリは穏やかな流れと開けた河原を持つ小さな川で、その向こう岸には緑の草地と森が広がるばかり、切り取って風景画にしたいほど美しい眺めであった。
この景色に一層ののどけさを加えているのが、河原で憩う牛と羊の群。おそらく水を飲ませるために連れてこられたのだろうが、飼い主の姿も付近には見当たらず、まことにのんびりとした風情である。しばらくすると、今度は二台の乗用車が姿を現した。カラフルな飾りをつけているからには、結婚式を終えた新郎新婦が乗っているものだろう。河原に広がる草原のほどよきところを選んで、親族や友人一同がこれから宴を繰り広げるのに間違いない。いかにもロシアらしい光景ではある。
かつての権力者が居を構えた多くの場所と異なり、キデクシャは後に大都市として発展するには至らなかった。それでも、21世紀のキデクシャは田舎に特有ののんびりした空気に包まれており、それなりに幸福な土地だと言えるのかもしれない。(03.06.05)
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