クレムリン3
では、トロイツカヤ塔をくぐったところから再開。前方にはまっすぐ、幅の広い石畳の道路が伸びている。ゴミ一つ落ちておらず、心なしか敷き詰められた石の色つやもよいように見えた。さすがに権力の中枢だけのことはあり、並みの観光地とは比べものにならないほど掃き清められている…のかどうかは分からないが。
道の両側にはそれぞれ巨大な建物がそびえ立っている。まず左手が兵器庫、石造りの荘重な建築物である。周囲に並べられている大砲は、1812年戦役(対ナポレオン)の折りの戦利品だという。ただし兵器庫自体の一般公開はされていない。
一方、右手にあるのが大会宮殿。これはソヴィエト時代に建てられたもので、その名の通りソ連共産党大会などに使用されていた。とは言え政治目的だけの施設でもなく、例えばコンサートやバレエもここで頻繁に催されている。切符さえ買えば、一般人でも自由に出入りすることができるわけだ(なお、ロシア語で「宮殿」を示す言葉дворецは、「王侯貴族の邸宅」以外に、「公共の目的で使用される巨大なホール」を意味する場合もある。従って「大会宮殿」という訳は妥当でないかもしれないが、ここでは慣例に従った)。
ところで、この大会宮殿はあまり評判がよろしくない。外観があまりにも周囲と調和していないのである。重苦しい印象を与える鈍色の外壁は、やたらに面積の広いガラスの部分とあいまって重厚壮大、いかにも「ソヴィエトチック」な雰囲気を醸し出している。他の(帝政時代の)宮殿も確かに巨大なのだが、色合いは軽やかで明るい感じのするものが多い。街の中であればともかく、クレムリン内の建築空間で大会宮殿が浮き上がってしまっていることは否めないだろう。
ここから前方にまっすぐ延びている道を進むわけだが、我々は右側にある歩道の上を歩かなくてはならない。というのも、道の右手には古い教会などの歴史的建造物が集まり、いわば観光用ゾーンなのだが、左手の方には大統領府と大統領官邸が位置し、クレムリンの中でも政治的空間となっているからなのだ。そこかしこに警備員が立っていて、近づこうとするとすぐに捕まってしまうだろう。
その向こう、城壁を隔てた外は赤の広場にあたる。赤の広場がテレビの映像で紹介される場合、レーニン廟の背後にロシア国旗をはためかせた巨大な丸屋根が映し出されることが多いのだが、これこそが大統領府なのである。ただし大統領府自体は伝統ある瀟洒な建築物で、かつては元老院として利用されていたらしい。
しかし改めて考えてみると、クレムリンとは不思議な空間である。先ほどの大会宮殿にしても大統領府にしても、まさに「権力の中枢」として作られたものであるのに、あるいはコンサートホールとして使われ、あるいは一介の観光客がすぐ近くにまで入り込むことができる。「秘密のベールに覆われた帝国の頂点」というイメージとは裏腹に、オープンな印象すら与えるほどだ。
誤解のないように断っておくと、かつての共産党指導部や現在の政権がオープンな性質のものだと言いたいわけではない。ただ、大帝国の権威と権力の中枢が、空間的にはかなりの程度まで開かれているという事実が、何となく興味深いように思われたのだ。
考えてみれば、革命以前のクレムリンも決して権力者たちの私的な空間ではなかったように思う。ここにはツァーリの宮殿と並んで多くの教会が建てられ、公式の宗教儀式などを執り行っていたし、またツァーリが亡くなるとその遺骸を一般に公開し、人々が最後のお別れをするという伝統もあった。そもそもクレムリンにすぐ隣接した赤の広場は、何かの行事(法令の布告、罪人の処刑その他)があればモスクワ中の人々が集まる、最もオフィシャルな空間であった。
例えば「九重(ここのえ)の奥」、と形容されていた日本の宮中に比べ、いわば「聖」と「俗」の距離が近いようにも思われる。もちろん、権威のシンボルとしての宮殿空間はすでに研究の対象となっているのだろうが、実際に自分の目で見てみるとなかなか面白いものだ。
ちょっと寄り道がすぎた。我々観光客に用があるのはやはり道の右側、教会や宮殿などの建築群である。
まず目に入ってくるのが、道の脇に置かれた「大砲のツァーリ(「地球の歩き方」の表記によれば「大砲の皇帝」)」と「鐘のツァーリ(「鐘の皇帝」)で、だいたいいつも観光客がたかっている。大砲も鐘も怪物のように大きく、いかにもロシアらしい。という感想はあまりにも浅薄なものだが、とにかく人目を惹くことだけは間違いない。
「大砲」は口径890ミリ、重量40トン、16世紀末の作という。一度も実戦に使われたことはなく、もともと装飾用のものであったとも考えられる。当時の技術では、弾丸を装填するのも困難だったであろう。ちなみに砲の前に置かれたいくつかの砲弾(巨大な鉄球)は、完全な飾り用として19世紀に作られた。
しかし「巨砲」というといかにも威圧的に響くのだが、現物はずんぐりとした旧式な大砲で、近代的な砲を見慣れた我々にはちょっと頼りなく感じられるのも確かだ。もちろん駐退機もついておらず、大八車の上に樽を乗っけたような、ユニークな雰囲気すら漂わせたスタイルであった。その上、砲の前面にはライオンの顔が彫刻されているのだが、これが何とも言えず情けない表情をしている。眉を下げ、ものすごく困っているような顔なのだ。いかに大砲が脅威を演出しようと、これじゃ台無しじゃないのか?と思ってしまうのは自分だけであろうか。ロシア人のセンスもよく分からない。
「鐘」の方はいっそう大きく、重さは何と200トンに達する。1733〜35年に鋳造されたものだが、完成前に火事に見舞われ、一部が欠けてしまった。そのため、一度も鳴らされたことがないのだという。この「破片」はそれだけで11トン、もちろん鐘と一緒に展示されている。
ところで、欠け落ちた部分からは鐘の中をのぞき込むことができる。見ると、どういうわけだかたくさんのコインが散らばっていた。日本では、例えば熱帯植物園のハス池に硬貨が投げ込まれているほどで、ありがたそうな場所にお金を投げ入れるのは日本人だけの習性かと思っていた。しかしロシアでも同じようなことをやっているらしい。まさか全部日本人観光客の仕業なのか?
さらに、その奥には小さなイスがおかれていた。これは完全に意味不明。ひょっとすると、政策に行き詰まったプーチン大統領が鐘の中で瞑想に耽ったりするためのものかもしれない。我が国でも、上杉謙信が戦に先がけて毘沙門堂に籠もり、祈りを捧げたという故事がある。
「鐘のツァーリ」の背後には、クレムリン内で最も高い建築物・大イヴァンの鐘楼がそびえ立っている。16世紀初頭に建てられたもので、「イヴァン」とはモスクワ大公イヴァン3世(在位1462〜1505年)のことであろうか。幅広で一段低い本体の横に、まるで灯台のような形をした背の高い鐘楼が寄り添うようにして並ぶ、美しい建築物である。他の教会群と同じく白亜の壁に飾られ、黄金に輝く(いわゆる「ネギ坊主型」)丸屋根というロシア独特のスタイルを持つ。この鐘楼はクレムリン外からでもよく見え、殊にモスクワ川方面からの景観を一種独特のアンサンブルにまとめ上げている、と言えよう。
全高81メートルという鐘楼に、一般人が登ることはできない。かつては外敵の侵入を監視する望楼として使われたであろうし、逆に外からも、クレムリンの象徴として仰ぎ見られたことだろう。第二次世界大戦中モスクワを目指して進撃したドイツ軍は、この鐘楼をはるかに望む地点まで接近した、との伝説もある(実話かどうかは不明)。また、鐘楼の上部をぐるりと取り巻く形で何か書いてあるのだが、古い教会スラヴ語であるためよく分からなかった。
イヴァンの鐘楼の背後には、教会や宮殿などクレムリンの見所が集中している。しかしそちらは後回しにして、まず鐘楼から道を隔てた前面にある公園を歩いてみた(大統領官邸などの横にあたるのだが、一般にも開放されているゾーン)。きれいに敷き詰められた芝生のあちこちに木が植えられ、また花壇にはチューリップなどの花が咲き誇っている。散策にはもってこいの場所であろう。もっともクレムリンは有料なので、散歩で時間をつぶす気にはなれなかった。典型的な貧乏性、というか観光客根性だ。
公園の端から右手に向かっては、また道がのびている。これはクレムリン三角形の底辺、つまりモスクワ川沿いの南辺にあたる。道の脇にはかなりの落差のある崖、その下には城壁といくつかの塔、さらにその外側にはモスクワ川がゆったりと流れている。前にも書いたごとく、クレムリンの要害地形をもっともよく残しているのはこの方面であろう。ただし崖といっても日本でよく見られるような岩がちなものではなく、一面を草で覆われてソフトな印象すら与えていた。またモスクワ川にはときどき遊覧船が通り、まことにのどかなものである。
こちら側の城壁や塔は崖下にあるため、上から見下ろす形となってよく観察することができる。トロイツカヤのように大きな塔はなく、またその頂部も極端な尖塔ではない。より伝統的なスラヴ様式なのか、緩い角度の四角錐を形作っている。屋根は濃緑色、鱗状の瓦(材質は?)で覆われ、赤レンガの城壁とは不思議なコントラストとなっていた。
よくよく見ると、トロイツカヤのように派手さを欠くこれらの塔も、一つ一つ形が違っているから面白い。クレムリンを囲む20の塔の中には、同じ形のものは一つもないのだという。
さて、このような南辺城壁の内側には、巨大な大クレムリン宮殿(大会宮殿と混同しないように)がそびえ立っている。かつてツァーリの住居として建てられたもので、クレムリでも中心となるべき建築物と言えようか。「宮殿」という言葉から受ける印象の通り巨大で壮麗、外壁には双頭の鷲など数々の装飾がとりつけられている。ただし、他の古い建築と同じく軽やかな色合いで、ソヴィエト時代の産物である大会宮殿などとは対照的と感じられた。一般人が中に入ることはできないが、内装も驚くほど豪華なものであるという。現在は国賓の接待や儀式に用いられ、プーチン大統領の就任式もこの中で行われたはずである。
ただし、かつてこの場所にあった宮殿は、(ナポレオン戦役に伴う)1812年のモスクワ大火で消失し、現在のものはその再建である。当時の首都はペテルブルクであったから、モスクワに皇帝の住居を持つ必要はなかったにもかかわらず、こんな豪華な建築物を造ったわけだ。ロシア帝国の皇帝ともあろうものが、宮殿を燃やされてそのままにしておくわけにはいかなかったのだろう。権威とは、時として非常な浪費を強いられる存在なのである。
その向こう側、クレムリン三角形の左辺に沿っては、これも巨大な武器庫(兵器庫と混同しないように)の建物を見ることができる。これは皇帝たちが所有していた財宝の博物館で、クレムリン自体の入場料とは別料金で見学することができる。もちろん興味はあるのだが、とにかくその広さは半端ではないので、いずれ日を改めて来訪することにした。下手をするとこれだけで半日はつぶれてしまうだろう。
ここからは再びイヴァンの鐘楼方面へ引き返し、古い聖堂を見学した。個人的にはクレムリンのメインと位置づけていた建築群なので、いよいよ、と言うべきか。詳細については次項を待たれよ、である。
(01.06.06)
ロシア歴史紀行へ戻る
ロシア史のページへ戻る
ホームページへ戻る