ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂


ヴァシーリー・ブラジェンヌイ遠景。右はクレムリンのスパスカヤ塔、左はグム(国営百貨店)。


 おそらくはロシアで最も有名な教会。ただし、その名前自体はあまり知られていないかもしれない。と言うより、ひょっとすると、この建築物がキリスト教の聖堂であることすら知らない人がいるやもしれぬ。いわゆる「ネギ坊主」型の色鮮やかな丸屋根がいくつも天へ向かって伸びている様は、カトリックの教会を見慣れた目には突拍子もないものに映るだろう。しかしこれは、歴としたロシア正教の、つまりロシアのキリスト教の聖堂なのである。

 この聖堂は一般にヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂と呼び慣わされているが、実はこれは本当の名ではない。本名(?)はポクロフスキー聖堂という。発注者は有名なモスクワ大公イヴァン4世(雷帝)で、1552年にカザン汗国を征服したことを記念して、1555年にこの聖堂を造らせた(1560年完成)。雷帝はカザン征服戦で「ポクロフ」すなわち聖母庇護祭の祝日に勝利を挙げており、聖堂もこの祭日に捧げられている。
 それではなぜ、ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂という名が一般に広まっているのか?ヴァシーリー・ブラジェンヌイ(「祝福されたヴァシーリー」の意)というのは雷帝と同時期に活動した聖人で、いわゆるユロージヴイの一人であった。ユロージヴイはロシア独自の聖人のカテゴリーで、日本語では「佯狂者」「瘋癲行者」「聖なる愚者」などと訳し出されている。彼らは一種の世捨て人で、完全な痴愚者として振る舞い、裸に近い格好で街の中を歩き回っていた。俗世の価値観を振り捨てた代わりに、ユロージヴイは特別に神からの英知を授かったと信ぜられ、しばしば奇跡や予言をなしたという。またユロージヴイは、権力者を非難しても罰されることがなかった。ロシアの宗教文化を考える上で、まことに興味深い存在というより他はない。そうしたユロージヴイの1人、ヴァシーリー・ブラジェンヌイは、当時のモスクワの民衆から人気を集めたばかりでなく、雷帝夫妻にも深く敬われていた。そしてヴァシーリーが亡くなった後、遺骸はポクロフスキー聖堂に葬られたため、人はいつしかこの聖堂を「ヴァシーリー・ブラジェンヌイ」の名で呼ぶようになったのである。

 ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂はクレムリンのすぐ脇、赤の広場の南の端に建てられている。11年前に初めてモスクワを訪れて以来、何度となく目にしているわけだが、いまだに見飽きることがない。写真や映像ではともかく、実物を見る度に、改めて新鮮な感銘を受けるのである。まことに偉大な建築物と言うしかない。
 聖堂を正面から見ると、様々な高さを持つネギ坊主型の塔がいくつも乱立しており、そのスタイルにはとらえ所がないように感じられる。しかし実際には、中心にそびえ立つひときわ高い尖塔の周囲を8つの塔が取り巻いており、意外にも規則正しい配置と言えるだろう(平面図を見ればこのことがすぐに理解できる)。ただ、8つの塔はいずれもサイズが違っている上、頂部を飾る「ネギ坊主」型の丸屋根の形状はそれぞれが大きく異なる。結果として、個性的すぎる各部分を全体的な調和の中にまとめ上げるという、視覚的な効果が得られている。
 おそらく、聖堂を一見して最も強烈な印象を受けるのは、やはりその丸屋根であろう。ロシアの教会に丸屋根多しといえど、これほど強力なやつは滅多にない。1つ1つのデザイン・色彩感覚とも、他には類を見ないものである。最初に書いたとおり、どこかキリスト教離れしたイメージを与えるほどだが、実際にイスラム建築からの影響はあるらしい。イヴァン雷帝によるカザン征服後、その再建工事に参加した建築士たちが、ヴァシーリー・ブラジェンヌイの建設にも携わったと言われているからだ。確かに、聖堂の色彩や輪郭には、どことなく東洋の面影が感じられる。しかし一方で、それぞれの塔の中程にはココシニクと呼ばれる半円状の破風飾りが見られるが、これはロシアに伝統的な建築技法である。また聖堂の内部の内部は、ロシア正教の伝統的な洋式に則っている。要するにこの聖堂は、ロシアが様々な民族・文化を吸収し始めた時代を象徴する、歴史的なモニュメントだと言うことができる。

 ところで、ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂を設計したのはポストニクとバルマという2人の建築家で、聖堂の出来栄えがあまりにも素晴らしかったため、イヴァン雷帝は「二度とこんな美しい建築物ができないよう」2人の目をつぶさせたという話は人口に膾炙している(『地球の歩き方』にもそう書いてある)。しかし実のところ、この話には裏付けがなく、よくある「まことしやかな歴史的フィクション」の1つであるらしい。こうした与太話の流布には困ったものだが、雷帝の歴史的イメージが数々の残虐行為によって形成されてきたのも事実で、本人の不徳の致すところという気がしないでもない。

 現在では聖堂は博物館になっており、入場料を払えば中に入ることができる。外から見ただけで充分堪能できるかもしれないが、折角だから内部も見学しておいた方がいいだろう。
 ミーニンとポジャルスキー像の左後方にある券売所で入場券を買い、聖堂内へ。まずは入り口正面に、豪華な天蓋で飾られた棺を見ることができる。これこそがヴァシーリー・ブラジェンヌイの遺骸を収めた棺である。聖人の棺を教会内に安置し、崇拝の対象とするのは、ロシア正教では珍しくない。もしもヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂が現役の教会であれば、この聖なる棺に祈りを捧げる信者の数は今よりずっと多いことだろう。
 また、入り口の右方にある部屋には聖堂全体の模型が飾られているが、それよりも見所は壁である。おそらくわざとだと思うが、フレスコ画が途中からはがされ、漆喰の断面とレンガの地肌を見ることができるようになっている。もともとの壁面が、フレスコ画によってどのように印象が変わるかが分かって興味深い。
 これ以外にもいくつかの部屋があるが、正直なところ、何に使われていたのかはよく分からない。というのも、ロシアの教会建築によくあるパターンなのだが、ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂は高床式とも言うべき構造で、2階部分が主要な礼拝所となっているからだ。つまり1階は縁の下にあたる個所で、実際にかなり殺風景な作りとなっている。もしかすると倉庫にでも使われていたのかもしれない。また、銃眼のような窓を持つ小部屋があって、これは戦時の要塞としての機能を思わせる。全体として1階部分にはほとんど展示物がないが、中程の部屋の壁に掛かっているヴァシーリー・ブラジェンヌイのイコンは見逃さないように。ほとんど裸に近い姿が描かれているのは、ユロージヴイ特有の聖像画のスタイルである。

 それでは、聖堂の主な見どころである2階部分へ上がってみよう。石造りのこの階段はおそろしく狭く傾斜が急で、足元に気をつけなくてはならない。現在は便宜上順路として使われているが、昔は非常用の昇降口だったのではないかと思う。
 ここでヴァシーリー・ブラジェンヌイの内部の構造をご紹介しておくと、実はこの聖堂は、複数の教会が寄り集まったスタイルとなっている。つまり、中央にそびえる背の高い尖塔と、それを取り巻く8つの「ネギ坊主」の塔は、いずれも独立した教会なのである。ただ、それぞれの教会は全て回廊でつながり、1つの大聖堂としての体裁を保っていることも事実で、「独立した教会」というよりは「複数の祭室」と言った方が適切かもしれない(実際、そう表記した書物もある)。9つが1つでヴァシーリー・ブラジェンヌイ、というわけだ。
 そして、1階からの登り階段は、ヴァシーリー・ブラジェンヌイの中心となっている教会、すなわち中央にある背の高い尖塔内の教会につながっている。これは高さばかりでなく底面積も最大で、単独の教会としてもかなりの大きさである。ちなみに階段の出口はイコノスタス(至聖所と礼拝所を仕切る、イコンで飾られた壁)のすぐ脇という目立たない場所にあり、いかにも隠し通路という感じ。どうしてこれが正規の順路に使われているのかは分からない。
 この教会に出たら、何はともあれ頭上を見上げてみよう。流石に聖堂内でも最大の塔だけあって、とにかく圧倒されるほどに高い。ロシアの聖堂に多い大型のドーム屋根ではなく、尖塔型であるため余計に高く見えるのかもしれないが、それでも頂部は小振りな丸天井となっていることが分かる。また、天井部分は一部を除いてはレンガが剥き出しで、フレスコ画が描かれていない。元々からそうだったのか、あるいは後に失われただけなのか、とにかく教会の規模の割りにはちょっと寂しい印象がないでもない。とは言え、空間的なスケールと華麗なイコノスタスはやはり素晴らしく、充分に満足できるのだが。

 上述の通り、ヴァシーリー・ブラジェンヌイ聖堂は、中央にあるメインの教会を8つの小教会が取り巻くというスタイルをとっている。これらは全て回廊でつながっており、自由に歩き回って見学することができる。
 周囲の8つの教会には、さらに大小2つのサイズがあるのだが、いずれも中央の教会に比べるとかなり小さい。特に小型の方は非常に狭苦しく、それほどの人数は収容できそうにない。にもかかわらず、どの教会もきちんとイコノスタスで至聖所を区切っており、それがためますます狭く感じられる。どんなに小さくとも、ロシアの教会建築では外すことのできない形式なのである。教会はそれぞれ聖人や祭日に捧げられており、描かれているイコンも関連のものが多いようだ。
 ところで、8つの教会は全てが公開されているわけではなく、修復中だったり、あるいは物置のようになって閉鎖されているところもある。せめて解説を付けるくらいな親切心があってもよかろうに、そのまま放置してあるようだ。また、教会のうちの1つは特別展の会場として使われていて、期間限定でいろいろなものを展示している。実際に見た限りでは、ロシア各地方の教会が持つ伝統を紹介する特別展が多かったように思う。
 もう一つ、各教会を結んでいる回廊も見どころだろう。回廊の壁と天井は、唐草模様にも似た独特の植物紋様か、あるいは聖人画で飾られている。全体に狭く薄暗く、場所によってはほとんど光が入らず、荘厳さと陰鬱さを同時に感じさせられる空間である。まるで迷宮の奥にでも迷い込んだような、奇妙な感覚。ここにヴァスネツォフ描くイヴァン雷帝を配置したら実によく似合いそうだ。

 聖堂は数年前から大規模な修復工事の対象となっており、一時は外壁の大部分が作業用の足場や緑のネットで覆われて味気ない思いをしたこともあった。しかし現在(2004年5月現在)では、主要部分の修復は終了したものの如く、ネットも下方の一部に残るだけである。いかにもペンキ塗り立てという派手派手な色合いには却って違和感を感じるかもしれないが、これは創建当初もそうだったのだと思ってもらうしか。

 最後に、ヴァシーリー・ブラジェンヌイを外から見学する際のポイントを書いておこう。実は、この聖堂を正面から見ようとすると、午前中は凄まじく逆光がきついのである。特に夏の間は、写真など撮れたものではない。真っ黒けである。肉眼で見るのさえきつく感じられる。ので、正面からきれいな写真を撮りたいと考えている人は、時間帯を考えて行った方がいいだろう。もちろん、後ろ側から写せばどうということもないのだけれど。

(04.05.11)


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