モスクワ考古博物館2

 その次は、ヴォスクレセンスキー橋をくぐって向こう側へと進む。比較的広いホールとなっていて、メインの展示場との位置づけであろう。陳列されている発掘物も、期待に違わず興味深いものばかりである。


 まず、ホールの中央に置かれた大きなガラスケース。中には、17世紀のクレムリンとキタイ・ゴロドを再現したディオラマを見ることができる。キタイ・ゴロドというのはクレムリンに隣接した街区の名で、やはり堅固な城壁で囲まれていた。現在でもキタイ・ゴロドの地名は、地下鉄の駅名などに残されている。
 やはりビジュアル的な再現というのはありがたいもので、モスクワの中心部が当時どのような姿をしていたか、はっきりと理解することができる。これを見ると、まずクレムリン内部に今日のような巨大建築は少なく、意外なほどたくさんの館や教会が雑然と建ち並んでいた。周囲を取り巻く城壁には屋根がかぶせられ、実戦的な感じを受ける。ただし塔はいずれも現在のものより低く、あの印象的なとんがり屋根がない。尖塔の装飾はより後代の産物らしい。
 街に目を転ずると、教会が非常に多いのが目立った。教会の対人口比率も高かったのだろう。主な街路には、例の丸太による舗装がなされている。また赤の広場もまだ石畳とはなっておらず、同じ「舗装道路」が広場を走っていた。
 当時はまだネグリンナヤ川も広く、さらにクレムリンと赤の広場の間、またキタイ・ゴロドの後方にも水堀が設けられていて、街全体が堅固な要塞として作られている。幅の広いモスクワ川に架かっているのは、すぐに撤去できるような船橋であった。
 ディオラマはこのように迫力あるものだが、これを照らす照明がなくて少し薄暗く見えてしまったのが難と言えば難である。それから、両脇にある2台のテレビは完全に意味不明。再現ビデオを流すわけでもなく、ただそこ置いてあるだけだった。

 このディオラマを中心とし、周囲には多くの発掘資料が展示されている。時期的にはやはり15〜17世紀、つまりモスクワ大公国のロシア統一(イヴァン3世)から初期ロマノフ時代までの遺物が中心となっているようだ。
 まず手前のガラスケースには、様々な日用品や武具が陳列されている。湾曲した鎌(旧ソ連の国旗を思い出してくれればよい)、すき刃などの農具。斧、スプーン、洗濯桶の破片、子供用の靴などの生活用具。樽の底だという円形の板には何か文字が刻みつけてある。また武器としては鎖鎧の断片、矢じり、銃の台尻を覆うカバーなどもあった。リンゴくらいの大きさの砲弾には、金属だけでなく石でできたものもあって興味深かった。


 さらに奥には、いくつかの地点で発掘された財宝類が展示されていた。例えば1996年に発見されたゴスチンヌィ・ドヴォール(商館)跡のコーナー。大きな壺、ライオンをレリーフした大きな皿、金・銀に輝く杯、それにたくさんの硬貨など、いかにも「財宝庫」という感じだ。双頭の鷲と「フェルディナント」王の肖像が裏表に彫刻された銀貨は、ドイツ(神聖ローマ帝国)から持ち込まれたものか。これらは現代の硬貨としても通用しそうなほど大きさも形もしっかりしているのに、同じ場所から発掘されたロシア貨幣は相も変わらずヒマワリの種で、その落差は驚くほどであった。
 続いて、1970年にイパーチエフスキー小路で発見されたというスペイン貨幣コーナー。モスクワ大公国とスペインというのも意外な取り合わせだが、貿易関係はあったのだろう。他の西欧貨幣と同じように整った円形で大型のコインである(ただし中の数枚は歪んでいた)。刻まれている国王はフェリペ2、3、4世で、17世紀30年代までに鋳造されたものらしい。
 しかしこのコーナー、円形のガラスケースの中で積み上げられたコインが回転し、上部には貨幣が入っていたと見られる壺が口を斜め下に傾けて(つまり、お金がこの壺からばらまかれたという形で)吊されている。何故このように余計な演出をするのか、さっぱり分からない。なにやら安っぽいゲームセンターのようで、却って可笑しかった。


 続いてはロシア貨幣である。93年にピャトニツカヤ通りで発見されたというコレクションは、イヴァン3世から「動乱」時代のツァーリ・シュイスキーまでのもの。モスクワ大公国でも最も重要、かつ印象的な事件に満ちた時代の遺物と言えようか。ただしサイズは小さく形は歪んでいるという、今までに見た古いロシア貨幣の例から外れることはなかった。同時代の西欧貨幣と比較すれば、その落差には驚くばかりである。鋳造技術にそれほど大きな差があったとは思われない。もしかすると、貨幣の流通や信用などの面で当時のロシアは西ヨーロッパよりも遅れており、それがコイン鋳造の「やる気」の差につながったのかもしれない。
 ただし、このコーナーのロシア貨幣には比較的はっきりと文字が判別できるものが多かった。また画像として刻まれているのは、馬にまたがった騎士の像である。おそらく、今日でもモスクワ市の紋章として使用されている聖ゲオルギー像であろう。ロシアはイヴァン3世の時代に「ビザンツの遺産」として双頭の鷲の紋章を受け入れた、とよく言われているが、少なくとも貨幣を見る限り、ロマノフ以前のロシア国家を象徴していたのは聖ゲオルギーであったようだ。また、銀貨に混ざって数枚の金貨も見ることができた。
 その隣のコーナー、18世紀から19世紀のロシア貨幣を見ると、こちらにはすでに双頭の鷲が刻み込まれている。鷲の裏側には皇帝の肖像、ほとんどがエカテリーナ2世だが中にはピョートル3世のものもあった。また、サイズも大型化しているし形もほぼ完全な円形で、「ヨーロッパ規格」に移行したかのような印象を受ける。ピョートル大帝の近代化・西欧化政策が、貨幣鋳造の面にまで現れたのか。

 財宝・貨幣が展示された一角から見て右手の壁面には、やはりいくつかのガラスケースに分かれて発掘物が展示されている。中でも興味を惹かれたのは、1969年に路(先ほどのスペイン貨幣と同じく)イパーチエフスキー小路で見つかったという16〜17世紀の遺物である。どうやら国家に勤務する士族(дворянин)の住地であったらしく、火縄銃の銃身や兜などの武具が発掘されている。兜はロシア独特の円錐状で、先端のとんがり具合が尋常ではなく、恐ろしいほどであった。やかんや秤、斧などの生活用品もよく保存されている。当たり前のことだが、戦士階級を構成する人々にも日常の生活というものがあったのだ。また、メスに似た小さなナイフは長靴に入れて持ち運んだものらしい。護身用か単なる携帯用か分からないが、面白い遺物であるとは思う。
 続いても、様々な日常品を収めた展示コーナー。粘土でできた馬や人、さいころ・チェスなどのおもちゃや娯楽品がとりわけ興味深い。また木製品に施された見事な彫刻の文様は、現代でも民芸品などによく見かけるデザインであった。さらに、カラフルなタイル類も陳列されている(17〜18世紀)。富裕な人々の住居を飾ったものであろうが、ライオンやケンタウロスなどの意匠が特に目についた。

 タイルの展示ケースの近くには上り階段があり、ヴォスクレセンスキー橋を越えて入り口の方に戻る形になっている。階段上にあるいくつかの小さなコーナーを回ると、一番最初のモイセーエフ修道院コーナーに行き着く。つまり、残りはもう少しというわけだ。
 まずは今年限りという特設展として、モスクワ市域外の遺跡がいくつか紹介されている。一つ一つの規模こそ小さいものの、鉄器時代初期のスラヴ人集落やクルガン(古墳)からキエフ時代の都市まで、なかなかバラエティに富んでいる。ここでは小生の好みということで、ロスチスラヴリ・リャザンスキーだけを取り上げておこう。その名からも想像されるようにリャザン公国の一都市であり、カマ川のブルガール人に備える分哨地として1153年にリャザン公ロスチスラフ・ヤロスラヴィチによって築かれている(ちなみにこの人物の祖父はヤロスラフ賢公の子・スヴャトスラフである)。このように建設者の名を冠した都市は、キエフ時代には珍しくなかった。1520年にリャザン公国がモスクワ大公国に併合されるまでは、ロスチスラヴリもなかなかの繁栄を見せていたという。
 ここで展示されているのは、壺や鎌・ナイフといった日用品、それに墓石の一部などである。金属製品は非常に細工が細やかで、文化水準の高さを思わせた。また小さなコイン(銅貨?)は特に興味深い遺物と言えよう。どれほど流通していたのかは分からないが、とにかくリャザンのような地方公国でも独自の貨幣が鋳造されていたという事実は、キエフ〜モスクワ時代初期の分権的傾向を物語っている。またコインの片側には、明らかにキリルとは違う文字が刻印されていた。単なる文様か、もしかするとタタール系の言語かもしれない。

 特設コーナーの後にはまたモスクワに関する展示が続くのだが、その境目があまりはっきりしていないのは不親切である。もっとも残りはほんの少しで、特に目立つものといえば近代以降のマネージ広場、さらにネグリンナヤ川を再現した模型くらいか。ネグリンナヤ・ディオラマには在りし日のヴォスクレセンスキー橋も含まれているので、見逃さないようにしたい。
 それから、入り口のすぐ近くにはガラスケースの中に一つの銅貨が鎮座している。1729年鋳造・ピョートル2世時代のもので、もちろん歴史的価値も高いものであろう。しかしこれ一つだけが仰々しく陳列されているわけは、モスクワのユーリー・ルシコフ市長が発掘現場を視察した際に発見したという理由によるらしい。まったくあざといパフォーマンスだ。目立ちたがり屋で自分をアピールする機会を見逃さないルシコフならではの展示、と言えようか。別のケースには博物館のオープンにあわせてルシコフが与えた巨大な鍵(開館をシンボライズするものか)、さらに来館者用ノートに書かれたルシコフの感想文も並べられていた。

 長々と書いてきたが、博物館そのものの規模はそれほど大きくなく、一回で見学し終えるには手頃とも言える。歴史好きには絶対にお勧めである。また館内ではモスクワ市の歴史を案内したビデオ作品がいくつか販売されており、こちらの方も一見の価値はあるだろう。

(01.08.07)


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