日・宋貿易
 遣唐使が種々の政治的な状況での廃止であったとしても対外的な貿易は
とどまることを知らず、正式な国交を結ぼうとしない貴族の間でも唐の文
物への物欲は失われることはなく、逆に需要は多くなっていきました。
 11世紀中盤に藤原明衡によって著わされた『新猿楽記』には既に日本に
おいて商業が発達し国交が途絶えた11世紀にも多くの大陸からの商品が都
に流れていた事を示しています。

<新猿楽記による商人の扱う商品>
【本朝】
 緋襟・象眼・繧[糸間]・高麗軟錦・東京錦・浮線綾・金・銀・阿古夜玉・
夜久貝・水精・虎珀・水銀・流黄・白[金葛]・銅・鉄・[糸兼]・蝉羽・絹・
布・糸・錦・纐纈・紺布・紅・紫・茜・鷲羽・色革
【唐物】
 沈・麝香・衣比・丁子・甘松・薫陸・青木・竜脳・牛頭・[奚隹]舌・白壇・
赤木・紫壇・蘇芳・陶砂・紅雪・紫雪・金益丹・銀益丹・紫金膏・巴豆・
可梨勒・檳榔子・銅黄・緑青・燕脂・空青・丹・朱砂・豹虎皮・藤茶碗・
籠子・犀生角・水牛如意・瑪瑙帯・瑠璃壷・綾・錦・羅・穀・呉竹・甘竹・
吹玉

 これらの商品は新猿楽記に書かれた商人の扱っている商品であり、その
他輸入品としては鸚鵡・孔雀・鴿・白鵝・羊・水牛・唐犬・唐猫・唐馬な
どの異鳥・珍獣や、唐紙・唐硯・唐墨などの文房具類もありました。

 先の太宰府の項で述べたような太宰府管理貿易が緩慢化してくると優先
的に朝廷へ商品を納めるよりも個別的に売買を行うことが利潤を得るため、
中国商船は太宰府の管理下にあった博多への寄港を行わなくなり次第に九
州を中心とした各荘園などに着岸し私貿易を行うようになりました。
 やがて博多を中心として、それに隣接する筥崎、香椎あるいは仁和寺領
怡土荘にあった今津、更には肥前の平戸、有明海沿岸の神崎荘、薩摩の坊
津などの九州の各沿岸で貿易が行われ且つ宋人の居住区が出来、都市的様
相を呈していくようになります。

 また宋人のなかは荘園の荘官などと婚姻関係を結んだり、権門寺社など
の神人になる者も現れ管理貿易が見事に崩れていきました。
 そしてこのころには中国商船のみならず日本商船も大陸へと渡航し貿易
を行うようになりました。

 特に平安末期、平家政権が対外貿易に力を入れていた頃、南宋では孝宗
時代にあたり孝宗は対外的に積極的な政策を取っていたので貿易は更に発
展して行きました。
 日本商船が主に寄港したのは南宋の首都・臨安に比較的近い明州が中心
だった為にあらゆる意味で情報が得やすく、北の金王朝やそれを飲み込も
うとしていたモンゴル帝国の情報も多少ながら日本へ流れていたと思われ
ます。

目次へ戻る
宋朝の経済政策
宋銭流通・銭の病