日・元貿易の発展
先代の日宋貿易はその以前では例のない発展を示していました。
南宋を滅ぼした元朝はチンギスハーンが築いたモンゴル帝国の中国圏を中心とした
帝国で当時は世祖フビライハンが皇帝として政事を行ないっていましたがモンゴル帝
国は主に貿易や商業などに力を入れ、南宋を制圧してよりは海外貿易にも力を注ぎま
した。
そして南宋時代を越える貿易力を有し東アジア交易圏を作り出したのです。
その為、十四世紀初頭に中国商船は南インドのマラバルまでに達し、同地のヒリ、
カリカット、コーラムなどの諸港に寄港し貿易を行っていました。
元朝が積極的な海外貿易に乗り出したのは南宋を滅ぼして後で、先の項に示した市
舶司政策も同様に南宋が滅亡してより制定されています。
世祖フビライハンはこのように海洋貿易にも力を注いでいた訳ですが、日本対して
はどのような態度をとっていたかと云うと、日宋関係の大家である森克巳氏によれば
竟り世祖の抱懐するものは、単なる征服欲だけでは
なく、当時我が国より産した金・水銀・真珠その他の
生産品を獲得しようとするものであった。従って彼の
意図は対日貿易方針の上に具現されている。即ち彼は
遠大なる遠征軍を日本に差し向けて武力解決を計り、
第一次戦の文永役によって遂に日元両国の関係は最悪
の状態にまで立ち至ったのであるが、しかも、一面に
は武力解決を試みながらも、他面に於いては日本商舶
の貿易を許容し、日元貿易の持続を計ったのである
(『新訂日宋貿易の研究』より)
と云うことになります。
世祖が日本に対して武力行使に訴えようとも貿易を許容した事は文永の役の三年後、
建治三(1277)年に日本商舶が金と銅銭との交易を求めたのに際して認めた事でも窺い
知ることが出来ます。
各史料によって日本と元朝に往来する商舶の一部をかいま見ることが約六十例にの
ぼっています。
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日本の対外政策
元朝期の輸出品