征夷大将軍
征夷大将軍とは、大伴弟麻呂から始まり徳川慶喜で幕を引き千年の歴史があり、各
時代ごとに色合いが違いますわーな。
まず中世で初めて征夷大将軍となって明智光秀の前に「三日天下」を実現した木曽
の田舎者・義仲。
この義仲は何故、古代の官職を引っぱり出して任官したか?それは征夷大将軍が先
に征夷使と呼ばれその前身として征東使と呼ばれていた事から発します。
元々の征夷大将軍(以後将軍)とは敵国東国を討伐する官職でその変遷として征夷使
があり、この征夷使の方は悪者としての蝦夷という人に対しての官職でげす。当時義
仲が将軍に任じられた頃は既に西国の平家と手を組み東国の主となっていた源頼朝を
敵としていたので、征東=征夷の意味からこの官職を望んだと考えられてるんですね。
この義仲に変わって頼朝が征夷大将軍を切望した理由は奥州藤原氏を倒す大義名分
の獲得の為の他に頼朝が源氏の棟梁、ひいては武家の棟梁としての権力拡大に利用す
る為だったようです。ですが、奥州藤原氏との戦いでは希代の大天狗・後白河院が任
官を認めませんでした。
それはなぜか?理由は天皇の節刀を親授されることなく、軍政大権を委譲される事
はこれまで天皇大権の内にとどまっていた軍令権が天皇大権の外に自立してしまうか
らと言うことです。
幕府を開く際に征夷大将軍でなくてはならないなんて事はありません。近衛大将で
も開く事は可能です。そして建久元年(1190)頼朝は上洛し大納言・右近衛大将の任官
しました。すぐに頼朝はこの官職を辞退しましたが頼朝は前右大将家として鎌倉殿の
公法的呼称となり、幕府を開くことが出来るようになったのです。
幕府成立には右大将でも可能でしたが、頼朝はそれを辞退し鎌倉に戻っています。
それではあくまでも前職としてであり、権威を現職として保持するための方法とし
て征夷大将軍が必要となったのです。
こうして征夷大将軍は、前右大将家幕府を継承する公権形式として求められ、後の
武家の政権の認識としての征夷大将軍が誕生したのです。
ですから個人的には右大将任官が行われた1190年を幕府成立年度に考えたりしてま
すけど
目次へ戻る