古代中世期の皇家財政
信西の書き込みであったような武士・神人などの統合の動きは既に院政開始と呼ば
れる英邁なる天皇・後三条帝からありました。
それは延喜の荘園整理令で行われた田地に適さない「山野河海」に設定され山海の
産物を収奪を行っていた・厨にも朝廷直轄を適用する動きです。
この厨の直轄化は「内廷経済の充実」を目的として行われ
天皇・上皇−蔵人所−御厨所−各地の厨
という命令体制が確立したのもこの時期でしょう。
蔵人と言うのは天皇・上皇の秘書官と考えても良く、この命令体系により各厨の
「供御人」の編成を後三条天皇が目指し、これ以降の内廷の経済基盤の一つとして確
立していったのでしょう。
この事を考えながら後三条驍ゥら院政につながる荘園整理令を見れば
田地−荘園−穀物 山野河海−厨−現物
という荘園の統合とともに厨の支配の統一化で財政の増収を目指したものと考えら
れます。
さらに「供御人」が初期の武士となるのは有名ですが、この厨統合に伴い後三条帝
の頃に行われた殺生禁断を元にした放生会がとても注目できます。
朝廷では「殺生禁断」を建前としていますが、儀式としての狩猟をある特定の場所
に限り、その狩猟を行う供御人に対して殺生という特権を与え事により、供御人身分
の保証を朝廷が行う代償としての利益を求めその事も上皇が治天の君として九州に一
人立つ事が出来た要素として大きいと思われます。
そうした中、後三条帝が目指した専制君主が誕生し院政が開始されたのです。
以上、経済体制から見る院政の開始でした。
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