建武親政
建武の新制の基本は「自由狼藉」(?)鎌倉時代までに中央官職は譜代相伝化が進ん
でいましたが、律令体制の原理が好きな尊治にとっては官職は「遷代の職」であり譜
代化していった者達を否定して自らのブレーンで掌握する体制をすすめました。
例えば、京中の商業活動の統制に大きく関わる官職であり、一世紀半もの間中原氏
によって譜代相伝化された「東市正」を商人的要素の濃い名和長年に与え、京中の商
業活動を掌握しようとしたのは良い例でしょう。
こういった譜代相伝化を改変させたのは下級官吏に止まらず、太政官の八省の卿も
すべて大臣級の公卿を任じて、これら大臣級の公卿が掌握していた国政合議制を否定
しこの国政合議制の下にあった八省を自らの直接の指揮統制下におこうとする試みも
行いました。
また国司制に関しても改変を行い、尊治は国司を重視していたようで「知行国」の
制度を廃し、側近を積極的に任じ経済の掌握につとめました。
これらの事でわかるように新制はまさに「譜代」の否定。
そして全ての事を天皇自ら処理することを考え、天皇専制を目指していたことが解
ると思います。
ですが、とーぜん天皇ひとりでは処理能力にも限度があります。
問題が端的に現われたのは「土地政策」。
数年前の大河ドラマでもその「土地政策」の失敗により新制が崩れたと言っていま
したが、まさにそのとーりで「綸旨万能」を唱った政策は偽綸旨等々によって失敗し
ました。
ですが、このことによって百姓一般にまで綸旨=天皇の信頼を崩した事により、端
的に言えば律令政治の復古を目指したおかげで中途半端に生きていた律令との決別が
できたと言えます。
ま、雅仁にしても尊治にしても結果として次世代の到来のために過去を破壊したと
いえるでしょうね
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