親政の創造破壊原因
鎌倉幕府の滅亡というのは武士勢力の衰退と言うものではなく、御家人・非御家人
の討幕参加があったからこそ討幕がなったのが前提となります。
その中で、御家人衆の代表が足利尊氏であり、非御家人勢力の代表が護良親王でし
ょう。
足利氏一門は鎌倉幕府の頃より北条氏に次ぐ家格として重んじられ、次世代の棟梁
として武家の中で考えられていました。それ故、尊氏の討幕の呼びかけは御家人衆に
効果的に働き討幕の一翼を担いましたし、一方の護良親王は元々武家社会とは無縁な
親王ですから、その為逆に非御家人勢力に目を付けたのでないかと言われています。
実力を有していて御家人たる地位を獲得したくてもできない。ましてや朝廷にも認
められない。この新興勢力を護良親王は高貴な地位をもって大義名分を与え、代償と
して軍事力を提供させたともいわれます。
これらの推測を考えると建武の新制が行った「旧領回復令」の発布は親王が行った
非御家人勢力のと確約を反故するものですから非御家人勢力としては自分たちの領地
権益の保証でを代償としての軍事力提供であったにも関わらず、新制により否定され
た為に護良親王への支持もやめるということになったのでしょう。
ですから、護良親王が征夷大将軍任命の後3ヶ月で辞任したのはこれらの非御家人
層の支持率の急落を考えるのが妥当かと。
護良親王は武家の棟梁の地位を望み、また足利尊氏も望みお互いに対立しました。
それに専制を望む父帝・尊治とも武家の棟梁を否定する為対立し、最終的には義直
に暗殺されるという経過を辿ってしまうという結論なのでしょう。
うーん、やっぱり護良親王くんは数奇な人です。
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