仏教伝来時の日本
欽明帝の御代に伝来した仏教。
この伝来した時代背景を少し説明したいと思います。
この仏教が伝来するまでの朝廷を支えた宗教は呪術的なものを含む神祇信仰で
した。よく教科書で太政官の外に神祇官が横に書かれてますね。あれです。
大和朝廷発足以降、一般大衆に小難しい法令を教えるのは到底不可能で、まし
てや朝廷の初期の姿が連合国家だったように地方支配にしても地方豪族を容認す
るものでした。
この豪族などを介し朝廷が大衆から税金を採る方法が「神様に今年の収穫物の
一部を捧げれば来年も豊作になるから出そう」と云うもので、毎年の収穫時期に
は地方の神主・神祇官が収穫を集め朝廷に送っていました。
このように日本の支配体制は下部の呪術的支配体制の共同的な統合をより強固
な呪力で支配する体制とも云えるのです。
これら呪術的かつ共同体的な支配体制内では個人の独立や私有・支配などの意識
は生まれなかったようです。(ここらへんが自分でも未だ不明)
初め仏教が伝来した際に朝廷では神祇信仰の外国版としか認識していなかった
ようです。ちょうど直ぐ後に発生した疫病なども仏教が入ってきたから神がお怒
りになられたとしか思えなかった訳です。
しかし、仏教の開祖ブッタが王族であったように私有・支配などの欲望などか
ら生まれる業罪の感覚は朝廷が連合国家から律令国家へ変貌していく過渡期の朝
廷、若しくは天皇自身が世俗的王権と認識した際に理解し支配層に仏教が広まっ
ていったようです。
七世紀頃の厩戸皇子が死去された際に「世間は虚仮にしてただ仏のみこれ真ぞ」
と仰ったそうで、推古朝の支配層にはこれらの考えがあり、支配する欲望などの
業罪から解放される為には出家し苦行を重ねて悟りを求める僧達に供養・布施をす
ればいいんだ的な事が「法華経」などに書かれていて支配層は来世の安寧を求め
仏教に傾倒していくのでした。
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