鎌倉時代が重農主義だったと云われるのは古い話。 中世鎌倉では様々な商品が飛び交い、大御家人は都市的遊興を求め一所懸命 破産していました。 既に平安時代で各地の「おらが村の特産品」が出来始めて、各地方での生産 品に特色が出て各地でそれらを交換する市庭(市場)が出来てそれに伴って都市 が出来た処もあります。 鎌倉では六浦・和賀江と云う両湊を有し、大陸船も来ていた訳ですから多くの 輸入品が運ばれ、他の都市で輸出品が積み込まれたのでは無いでしょうか? 六浦は鎌倉の東の端とされていました。あの朝比奈口を通る前に六浦に商人 の倉庫があったと考えるのは妥当だと思ってます。 執権が「質実剛健・質素倹約」をもっとーにして皿に残った味噌をなめて酒の 肴にしたりしてもその女房殿は「やっぱり陶磁器は舶来物に限るわよね〜」と か云っていたかもいれません?!