安達泰盛の改革
鎌倉幕府の滅亡については奥州大乱の事も関わり合いがありますが個人的には安
達泰盛の改革・後の霜月騒動・北条貞時の専制の時期によって幕府の御家人と御内
人との抗争が滅亡の原因の元だと思っています。まぁこれも所領行政がネックだっ
たんですけど。今回は泰時期から得宗専制までの変遷第1回。
まず安達泰盛の改革とは、
T 一宮・国分寺興業令 U 関東御領興業令 V 悪党禁圧令
W 鎮西名主職安堵令 X 引付興業令 Y 倹約令
Z 所領無償回復令
一応、これは数ある改革法令の中から抜き取ったものですが、この改革の性格は
「撫民」の「政道」といった北条時頼の政治の継承であり、その完成を目指したも
のでした。
よりいっそう強めた権限を持つ統治者としての将軍を位置づけ、その家臣-御家
人をさらに徹底的に保護する。そのための裁判制度を充実し、倹約を励行し一定限
度以上の商工業は抑制する。
すべてを見てもこれは「政道」にもとずく政治の完成を目指すものでした。そう
してこの弘安の改革は武家のみならず武家・公家を通じて「徳政」と映っていたの
です。
この「徳政」は本来の意味の「徳政」であったのが次第に武士の関心の高い所領
無償回復令が中心と見られるようになってがんらい「徳政」の一部であった回復令
自体が「徳政」と考えられるようになっていった。だが、そこに社会の矛盾が端的
に姿を現しています。「政道」「徳政」を実現しようとすれば、その基礎となる所
領が安定していなければならなりません。それを安定させようとすれば否応なしに
強権による回復令を行使しなければならなくなるという、ここに本来の「徳政」が
回復令の「徳政」に転化してしまう真の原因があったと。
実際、否応なしに専制的な姿勢をとらせた矛盾は、泰時期にいっそう深刻となっ
ていて、貧道御家人を保護するため幕府の基盤を固めようとして、事態に真っ向か
ら直面し、立ち向かっていく改革の悪党に対する禁圧は恐怖政治の様相を呈してい
き、御家人を保護する政策はただただ非御家人・凡下・借上にとってみればみな容
赦ない抑圧でしかなかった。
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