顕密体制
「顕密体制」というのは黒田俊雄先生によって提示された、日本中世において正統
とみなされた宗教のあり方を意味する概念です。
戦後の仏教史以降、鎌倉「旧仏教=古代仏教・新仏教=中世仏教」と図式が定説と
なっていましたが、黒田先生は「新・旧仏教」の区別自体が後世の宗派を基準とした
ものであるとして、疑問を投げかけそれに代わって歴史的に実在した中世の正統を示
す物として「顕密体制」と言う概念を示した訳です。
中世においても圧倒的な力を保持していたのは延暦寺などの旧仏教系寺院であり、
「顕密体制」を共通の基盤とするこれらの諸宗・諸寺院が国家権力と癒着した形で正
統宗教としてのあり方を固めた体制を「顕密体制」と命名されました。
これに対して、12世紀末に始まる一連の仏教改革運動は支配的地位にあるこれらの
顕密仏教に対し、それらが生み出す時代的・社会的諸矛盾をさまざまな部分的・特殊
的形態で表現する改革ないしは異端の運動として位置づけられたのであります。
この顕密体制によって戦後の「旧仏教+古代仏教・新仏教+中世仏教」という構図
が覆され、旧仏教こそ中世仏教の本流であるという認識が生まれました。
顕密体制論のもう一つの意義は、「権門体制論」の独自の中世国家像を前提としつ
つ歴史の全体的な構図の中に仏教を取り入れた点であり、その際に「中世の民衆にと
って仏教はなんであったか?」という立場でイデオロギー論の視座を導入し、仏教史
に歴史全体の動向や生きた民衆との関わりを追加したのでありました。
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