中世的文書主義
文書主義っていうのは多くの学者さんが書いてる事ですけど、一番解り易い事で
は信長が比叡山を焼くときに学僧達が逃げまどう最中に文書を担いで逃げたであろ
うと推測がつく理由に有ります。
文書っていうのの定義は「所持する文書によってのみ所領の知行、或いは、売買、
寄進、譲渡などの正当性が立証される法体制」らしいです。
現在でも土地所有の証明は文書でしょ?
それで特に現代と中世で異なる点は「文書を所有される者がその権利を享受でき
る」と言う点で、他人の文書だろうと拾ったものであろうと、持ってる者勝ちとい
う観念。言い換えれば文書の有価証券化が中世から急激に普及していったようです。
それを「文書フェティシズム」と誰かが命名したらしいですが(苦笑)
そして、その譲渡などが即、権利の譲渡に繋がるのでそれに関しては文書は無い
だろうと思いきや、その度に売券などが作成されているんです。
それは権利が譲渡して行く度に売券や譲状を記録していくもう一つの「文書主義
」が前述の中世的文書主義と拮抗して存在していった為なんです。
ちなみに「中世フェティシズム」っていうのは中世末期に衰退していくので特に
中世っていう時代は文書(古文書学)が必要不可欠になるわけです。
それ故に中世史専攻の学生は古文書を見ると萌える訳ですね。
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