文保の和談
  後嵯峨帝以降の両統迭立(持明院統・大覚寺統)の事で前までは百科事典でさえ
 この記事を載せ、「文保の和談」に因って両統迭立が始まったとされていたので
 すが東大の本郷和人さんが書くには

  二つの皇統の皇位争奪運動が激しさを増す文保元年、幕府は使節を上洛させた。
 さしあたり両統いずれが皇位に就いても構わぬ幕府は、両統の合意で譲位以下の
 事を決めるよう通達した。両統は話し合い、これが史料上では「文保の和談」と
 呼ばれたが、何一つ合意しなかった。

  と云うことであって、皇位が10年周期で交替されるとか等の法則・確約は無
 かったらしいです。
  承久の乱以降、幕府が皇位の任命権を有していたと本郷氏は力説されているよ
 うです。ただ「王権好き」が多い昨今では多少の反発をくらいそうなんですけど、
  これで百科事典の記載がいつ変わるのか楽しみになりました。

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