平安時代の国際意識
これは96年史学会第94回大会日本史部会 第二会場/前近代で行われた保立道久
先生の報告をまとめたものです。
平安時代の外交と云えば思い出すのは「遣唐使」菅原道真の我が儘によって中止
されてから、国内では「国風文化」が花開き王朝文化は最高潮にたっしましたとさ。
とくれば教科書通りですが、実際にはそんな簡単には行きません。
平安時代の最初の天皇・桓武帝の母は朝鮮百済の王の血を引いており、桓武帝は
日本の王のみならず、百済の王という認識もあったようです。
その中で古くの白村江の敗戦のイメージは「古よりの敵、古敵=新羅」となって
いくのでした。
このイメージはその後の天皇にも残り、十世紀の天皇の願文には新羅は「我が日
本国と久しき世時より相敵」と表明している事によって証明されます。
つまり、遣唐使廃止と云うのは道真の我が儘でも無く東アジアの混乱を避ける為
でも無く、侵略と云うシナリオも含んだ選択肢を協議する為に廃止したのではない
でしょうか?
もう一つ、そんな中で天皇を絶対化する思想は平安時代、羽を広げて東アジアの
情勢に関わらず天皇は天皇であると云う意味で摂関家からの交易船が大陸に渡り遣
唐使と云う朝廷公的な外交は行なわれなくなったと云う二面性が遣唐使廃止の原因
を論じられていました。
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