貴族の邸宅
高校の教科書とかで「寝殿造り」は聞き覚えがあると思います。模型なんかは
佐倉の歴民博で「東三条殿」が置いてますけど、見たことがあるのは教科書とか
の図でしょう。
あと、後世の「書院造り」(銀閣寺とかだったと思う)この二つが日本の伝統的
な様式です。
さて、この寝殿造り。中身を平たく云えば、仕切が無い部屋って事になるでし
ょうか。いまの家みたいに細かく部屋が別れているんじゃなくて一つの函のまま
って感じです。その中で簾とかを使って仕切っている訳です。
んで、一つの貴族の邸宅を見てみると寝殿・東対・西対・泉殿・車宿などの建造物
があり、その外、庭に池があり、山があったりとただっぴろい訳です。
寝殿と云うのは、寝る場所でもあるんですが寝る処って意味ではなくて正殿を
意味します。この「寝殿」が大抵主人や正妻の生活の場となり、また客人が来た
場合もここを使用します。
少女漫画「なんて素敵にジャパネスク」では一番最初、瑠璃姫が「強行突破」
されそうになるのを高彬に助けられた際の宴会もここで開催されたと思います。
その外の「〜対」と云うのが子供の部屋であったり使用人の部屋で使用された
りします。
泉殿は「池を見ながら一杯」とかって時に使います(多少偏見あり)だいぶ前の
「毛利元就」で大内義興が正妻と笛を吹いていた処が泉殿でしょう。
車宿は当時の交通の手段だった牛車の駐車場。これらが邸宅内の建築物ですね。
処変わって庭について。
ジャパネスクの中では良く子供の頃の瑠璃姫や徹・高彬の回想部分で邸宅内の
庭の部分が登場しますが、実際大貴族となれば邸宅の規模も大きく庭も必然的に
広かったんです。大抵の庭には池と山が造られていて「山紫水明」を邸宅で楽し
む贅沢さでした。ほんと、現代の日本人には信じられないでしょうが。
元々、貴族と云っても邸宅の大きさは決められていたのですが、それはそれ
規正をなし崩しにしていく権力者な貴族ですからどんどん大きくなっていきま
した。条坊制(当時の区画整理制度)では一町の面積が四十丈(約120m)、これだ
けでも大きな観がありますが、大きな邸宅では四町からなるものや、小さい方
では一町の1/4しかない藤原定家の邸宅もありました。
ってな訳で貴族の邸宅についてでした。
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