中世以降の武家の頭領としての幕府の長と言うのは 1.将軍である事 2.実質的に武家の頭領として政を行う実力者である事 の二つが必要で、鎌倉時代後期は将軍と得宗家で分裂してました。 南北朝の争乱の際、足利尊氏は源氏の名門として実力を蓄えて行きますが将軍 となった後も、他の鎌倉時代から続く御家人達からは「同格」という意識が強 く「なんで同格の足利家の風下にたたなぁあかんねん」てのが多くの東国御家 人の考えだったようです。 ましてや領地を増やすため、裏切りなどは日常茶飯事。幕府側にいたとして も自分の家に不利だと思えば軍事行動を起こしたりする、それは別段珍しくは ない政治行動と言えます。ましてや南北朝期には足利幕府側に追従しなくとも もう一つの権威「南朝」があるから。そんなこんなで南朝は自らの切り札とし て武士の間では使えると言うのは南朝が続いた大きな理由の一つでしょう。 また尊氏としては同輩意識の強い東国御家人が多くいる鎌倉に幕府を置くこ とは危険な事ですし、そうした政治的判断も京都に幕府を置く理由に入ってい たのでしょう。