03.藤氏長者と殿下渡荘
殿下渡荘とは、字義的には摂政・関白に付随して伝領される所領の意味です。
「殿下」は令制では三后及び、皇太子の敬称でしたが、平安中期から摂政・関白にも起用され後には
専ら摂関の敬称として用いられる事となりました。
時には「長者殿下」という表記も見られ、事に平安末期・鎌倉期の春日社司の記録にはその立場上
「長者殿下」の表現が多く使われています。それらは氏長者が摂関の職に密着していると云う事に帰属
している為ですが、その「殿下」は氏長者の敬称と云うよりもむしろ「長者」の背後にある摂関の敬称
である事は云うまでもありません。
殿下渡荘も本来は氏長者の渡荘でしたが、藤氏長者が摂関と一体化するに及んで摂関の渡荘つまり
「殿下渡荘」と称される事に至ったのです。
平安初期から文献に現われる「氏長者」が大宝令の「氏上」に遡ることが出来る事は通説となってい
ます。
そして不比等以来、鎌足を祖とする氏族集団を形成し氏中官位第一の者を藤氏長者としましたが、前
摂関政治の創始者である良房以降になって北家優位が確立し氏長者の地位を独占したのでした。
更には、藤原氏内部でも門流の形成などにより、道長を祖とする御堂流が摂関・氏長者を継ぐ摂関家
と云う家格が成立したのでした。
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