07.玉葉

 兼実の日記「玉葉」が古代中世期に関して、公家貴族が残した数々の日記の中で、 質量ともに最も現在に恩恵を与えていると云うことは過言ではありません。  「玉葉」の魅力として第一とすべきは、登場人物とその多彩さでしょう。  後白河院・清盛・義仲・頼朝・義経等々が次々に登場しては消えていくという光 景は他に比肩するものが無いものがあります。  まさに古代と中世の大きな転換期の時代が躍動感あふれて書き出されているのです。  公家日記の記述方法は千態万様です。極端に簡単に自分の心構え等から説明に委 曲をつくすものまで幅は広く、御堂関白記などは前者に位置している日記です。  このような点から見れば、玉葉は後者に位置していると思われます。  則ち、玉葉の記述態度は、重要な人物や事柄について、その性格・行動・経過・ 結果を一貫して記述し、これに自己の批評を加え隅々から記述や論旨を徹底せずに はおかない風があるのを第一の特色となると思います。  そして玉葉の記述方法としてもう一つの特色として原文主義と云う某からの書状 や重要事項などの文書を日記に張り付けていることで、頼朝よりの書状がそのまま 頼朝の字で載っていたりと各所にこのような例が見られます。  まず、來翰の例では   平 元親書状  安元二年正月十二日   源 通親書状  治承三年七月二十五日   平 時忠書状  治承三年八月十日   平 清盛書状  治承三年十一月十九日   源 通親書状  治承三年十二月二十六日   源 光長書状  治承四年六月二十六日   藤原親経書状  元暦二年二月十二日 で、その他も多数に及びます。   また來翰の一部を引用している処としては   松殿基房  治承三年十一月十六日   藤原秀衡  治承五年三月十日 等々です。  寿永二年十月四日条の頼朝の合戦注文及び朝廷への三箇条の奏状のうち、後者は 全文が「為後代注置」と明記されています。  これら玉葉の成立過程を見ていくと、そこに盛られた記述者兼実の意図がよく解 ります。それは「為後代」と云う日記制作の趣旨が具体化され、後代の子孫の為に 参考を提供する為出来るだけ詳細に生の材料を示して後世の理解力に直接訴えかけ 併せて自分の意見を述べて徹底させると云う方法をとっているのです。  以上は玉葉の記述方法、解釈の深さに関する事ですが、次に特色に挙げたいのが、 記事の広さ種類と変化に富むと云う事です。  そのことは直接、執筆者たる兼実の関心・教養・趣味の広さに関してくることです。  元来、貴族の最高層として位置し宮廷活動をもって生命としている以上宮廷に於 ける政務、その方法と儀式、規則・法制やそれに伴う服装・作法・風習・故実など 宮廷行事に最大の関心を寄せる事は当然ですが兼実の関心と云うものはそれらを遥 かに越えて広く政界の内外に目を向け全国の動静を把握しようとしており、その点 に於いても宮廷のみに縛られず目前の繁忙と精力を吸収されていないあとが読みと れます。  玉葉の記事を大観すれば政治・軍事・信仰によって為されています。  兼実は真言・天台・浄土・法相など諸宗、則ち顕密にわたってかなりの深い教義 的理解に努めています。  また兼実が歌人としてこの時代の歌壇に大きな影響を持ち、育成に重要な貢献を した事は玉葉を一読すればすぐに解ることですが、兼実は自ら歌を愛好するのみな らず、右大臣という繁忙の地位にいながら度々、余暇を歌会を開いて楽しんでいま した。安元・治承において、兼実の邸宅が当時の歌人養成所となっていたというの も付け加えておきましょう。  六条家の清輔、御子左家の俊成など送り迎えて、それは千載集を準備して更には 新古今へと芽が培われていったのです。  また歌道に劣らず、兼実が趣味を示したのは管弦であり、書でした。管弦は季行 が師をとっておしえ、書に関しては名筆の名を恣とした父忠通から法性寺流を習い、 父には及ばずと謙遜しつつも時には人の求めに応じ寺額などや清盛のために伊津岐 島の社の額を書いて賞嘆を得てもいます。  一口で云えば、平安時代四百年の宮廷生活を通じて育まれた公家貴族の関心と教 養と趣味とはその幅に於いて其の深さにおいて、刮目すべきまた、現在では到底及 ばないものでした。  本題の玉葉の話に戻り、続けますが、日記は読み難いという事は共通点かも知れ ません。  要はその記述者独自の言葉故でしょう。しかも数百年の隔たり、身分境遇の差、 風俗習慣用語思想の万般にわたって殆ど通じ難い別世界にある以上、読みづらいの は当然な事と云えるのではないでしょうか。  しかし、その中でもなお玉葉は人を引きつける叙述の明快さがあります。  それは玉葉の記述が生々として事の情景や人の心情を読者の目の前に躍動感溢れ る叙述で書いているからに外ありません。  ならば何故、兼実の記述にはそれらの躍動感、表現力があるかと云えばその情報 量において兼実は多種多様に駆使して知ることが出来、また兼実本人の天賦の理解 力のたまものと云えるでしょう。  自己の心覚えを中心とする日記に、他人の理解を期待するならば第一に重要なの が記述者の事実の正確な理解に基づく伝達手段たる表現力であり、玉葉はこの点に おいて極めて優れ、読者を時として事件の場に臨んでいる感を与える筆力を持って います。

目次へ戻る

前の項目へ

次の項目へ