月輪殿下傅
U.月輪殿下傅
7.九条家経済
兼実の財産は概ね皇嘉門院からの伝領を主体として成立したようです。それは比率
は異なりますが事柄によって近衛家領における高陽院と対比出来ます。
高陽院泰子の領を伝領するため基実は高陽院の養子となりましたが、それと同じく
兼実も皇嘉門院の養子となっていたからです。
この伝領については「兵範記」久寿三年正月四日条に
若君両人、一人七歳(兼実)、皇嘉門院御猶子
とあって、幼児から養子の事は定まっていたようで、長じて九条御所に関しても女
院存命中より伝領予定地であった事は明白で、兼実は更に長男良通を皇嘉門院の養子
とする事で女院領を総て伝領する気だったと思われます。
皇嘉門院領は父忠通や外祖父宗通などからの伝領、それに勅旨田、封田などもあり、
寄進地も多く結局女院領は九条家へ伝領されたのでした。
そして氏長者に付随する殿下渡荘は保元の乱からの複雑化や平家の介入などがあり
最終的には近衛家が伝領しました。この殿下渡荘の兼併する画策は失敗に終わり、そ
の事によって兼実は更に皇嘉門院領の自領化に拍車を掛け、ここで各家門の家領が成
立したのでした。
真の意味での惣領制、家領制の実現は道家期に入ってからでしたがその前提は間違
いなく兼実期にあり、提示されたものです。
それは則ち兼実の所領は従来のように氏産の枠内において個々人の遺言的処分とし
てではなく、また後代のような家督一人のみに譲渡される行方を取ることもなく、惣
領制時代の前提として、家領的観念において分割主義的伝領の方法が採られたのでし
た。
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