中世史研究の手引き−端書がわり−


 博物館の企画展に行くと不思議に思うことが一つある。
 それは企画展の客寄せとも云うべきテーマの品々には人が集まり、その人波はスムーズに動くことはまずない(それにスムーズに動いてしまうようだと企画者にとっては不本意だろう)、これはよくある事だ。
 しかし古文書や古記録の展示に於いても決まって、人波は流れて行かない・・・
 そうした時、私は思う。「文書のなにをみてるの?」と。

 例えば古代の文書であれば「楷書」で書かれたものも多くわかりやすいだろう。しかし中世の文書は大抵が、普通の一般人には到底分からないであろう「くずし字」で記されており、日本史をやっている者でも院生以上でなければそうそうと読みこなせる事は出来ない(と、思う)。
 確かに見ている人々の中で書を巧みとする人もいるだろう。しかし大半の読めないであろう人々はいったい何を見ているのか・・・謎である。
 更に云えばこうした古文書などが展示されている企画展に来られる方々には、それ相応の興味があるハズで、解説だけを読んで楽しいのだろうか?

 歴史の楽しみを俗っぽい言い方をすれば「謎解き」が醍醐味と言えるだろう。
 当時の人々が記した文書に何かを自分自身で感じることが出来なければ、さも悔しい事ではないだろうか?
 例えて云うならば、自分が読み始めた推理小説を誰かが最後の場面や、犯人をご丁寧にも教えてくれた時、その小説を読み進める気があるだろうか。また有難くも教えてくれた人に対して、よけいなお世話だと思わないだろうか。
 文書を読まずに解釈や人の論文を読むことは、こうした事に他ならない。

 では、こんな悔しい思いをしたくない。と思い、ここで一願発起して文書を読もうとした際、大きな問題が生じる。それは前に述べた「くずし字」であり、さらには文書の文体であり、文書の前提ともなるべき当時の事情である。
 このような難題ともおもえる壁を目の前にして、引き下がるかどうか。それは歴史を紐解きたいと思った度合いにもよるだろう。

 しかし、ここで私は声を大にしていいたい。「歴史は独学で出来る」と。
 殊、日本史に関して云えば様々な手引き書が刊行され、またインターネットでも情報を集める事が出来る。
 それらは非常に有効な手立てといえる。しかし如何せん、その様々な手引き書のどれをどの様に使えば良いかという事はあまり語られる事がない。

 私自身、歴史を学び始めた時には独学に近く、試行錯誤をしてきた経験上、だいぶ遠回りをしてきたと思う。
 ここでは、日本中世史を知ろうと考えている人の為に遠回りをしなくてもいいよう、様々な手練手管を使って、歴史を知る為の道具の説明や、さらには道具を提示したり、具体例を示して自分なりの「謎解き」を出来るように、ささやかながらのお手伝いをする事を目的とする。
 ここに来られた方々が歴史の謎解きの扉を開く第一歩を踏みしめる事を期待して。

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