『花園天皇宸記』
 記主である花園天皇は『等閑記』と自らの日記を称しているが現在では広く『花園天皇宸記』として呼ばれている。
 花園天皇は延慶元(1308)年八月に践祚、文保二(1318)年二月には東宮尊治親王(後の後醍醐天皇)に御位を譲り上皇となった。鎌倉時代末期の天皇として、また持明院統の一人として記したこの日記は鎌倉時代末期から南北朝前期に至る戦乱の時代の生き証人として様々な事を現代の我々に教えてくれる重要史料として知られている。
 現存している日記のほとんどが花園天皇の自筆であり、伏見宮家に伝来したものが現在では宮内庁書陵部に架蔵されている。そしてこの日記は『列聖全集』に一巻として刊行されてより、『史料大成』では二巻本として、『史料纂集』では三巻まで刊行されており四巻では解説と索引がされる予定となっているが未だ刊行を見るには至っていない。
 これらの内、『史料大成』本と『史料纂集』本(一巻のみ現在品切)が容易に入手し易く、更に続群書類従完成会からは村田正志氏による『和訳 花園天皇宸記』(全三巻)も刊行されており、より一層利用し易くなっている。
 なお、日記の現存する部分としては

  延慶三(1310)年 十〜十二月
  応長元(1311)年 正月〜六月、十一月、十二月
  正和元(1312)年 正月〜三月、六、八、九月〜十二月
     二(1313)年 通年
     三(1314)年 正月〜六月
  文保元(1317)年 正月〜六月(十二月別記あり)
     二(1318)年 正月
  元応元(1319)年 通年
     二(1320)年 通年(九月別記あり)
  元亨元(1321)年 通年
     二(1322)年 通年
     三(1323)年 三月〜十二月
  正中元(1324)年 正月〜四月、六月〜十二月
     二(1325)年 通年
  元徳元(1329)年 十一月・十二月別記
  元弘元(1331)年 十月〜十二月(十月別記あり)
  正慶元(1332)年 正月〜六月(十・十一月別記あり)
 があり、特に正中の変・元弘の変などに関しての詳細な記事によって後醍醐天皇の討幕運動を知る上で重要な史料となっている。
 ここでは様々な角度から『花園天皇宸記』を読むことによって、鎌倉末期の具体像を浮び上らせる事を主眼としたい。
猶、ここでは『花園天皇宸記』を当人が称した様に『等閑記』とし、『等閑記集解』と題して種々の事柄を調べながら鎌倉時代末期の朝廷社会及び思想史を論じてみたい。

『花園天皇宸記』と人物評伝
 そこで最初に行ったのはこの「『花園天皇宸記』と人物評伝」である。花園天皇はその性格上、人物が死去した際その人を論じる事を多くしている。これは持明院統だけに止まらず公家全般に至り非常に当時の人物を知る上で有益である。
 そこでここでは、人物の死去に際して花園天皇が論じた部分を抜き出しまとめてみた。

・『花園天皇宸記』人名総覧
 第一部(延慶三(1310)年〜文保二(1318)年)
 第二部(元応元(1319)年〜正中二(1325)年)
 第三部(元徳元(1329)年〜正慶元(1332)年)
 次に『宸記』に記される人物を網羅し、索引を作成する。
 まずは『宸記』を三部に分け、第一部は延慶三年〜文保二年迄、十四歳〜廿二歳の天皇在位期間、第二部は元応元年〜正中二年まで、廿三歳〜廿九歳まで上皇になってから兄の後伏見院と持明院殿にて同居していた期間、第三部は残りの部分である元徳元年〜正慶元年の頃、後醍醐天皇の倒幕運動が活発化し、それによって光厳天皇の登極した期間。この三部を順を追って作成する。

・花園天皇関連年表
 第一部 誕生〜即位・・・永仁五(1297)年〜徳治三(1308)年
 第二部 即位〜譲位・・・徳治三(1308)年〜文保二(1318)年
 第三部 譲位〜崩御・・・文保二(1318)年〜貞和四(1348)年

富仁親王春宮坊官一覧
花園天皇在位中の職事補任一覧
花園天皇在位中の改元一覧

・両統迭立に関する覚書

花園天皇に関する文献
・書籍
『花園天皇遺芳』 楊岐寺 1998年
人物叢書『花園天皇』 岩橋小弥太著 吉川弘文館 1962年
『花園天皇の御芳躅』 妙心寺大法会局 1945年
 「花園院謹製謹抄」川田順
 「花園天皇の御信仰」辻善之助
 「花園法皇御製の天台七箇法門」三田村玄龍
 「花園天皇御傳」中村 直勝

・論文
酒井茂幸「『花園天皇宸記』書名索引」『研究と資料』54号 2005年
野村朋弘「『花園天皇宸記』にみえる『尚書』談義」 『段かづら』3・4号 2004年
岩佐美代子「研究余録 花園天皇宸記の「女院」」『日本歴史』639号 2001年
吾妻建治「『花園天皇宸記』を読む(3)」『日本常民文化紀要』21号 2000年
岩佐美代子「『花園天皇宸記』読解管見」『ぐんしょ』再刊第46号 1999年
橋本芳和「花園天皇と管絃(1)」『政治経済史学』400号 1999年
三村晃功「花園院―恋歌の世界」『国文学解釈と鑑賞』64(10)号 1999年
住吉朋彦「花園天皇の『論語』摘句と『列子抄』について」『日本漢学研究』2号 1998年
橋本芳和「花園天皇の御学問」『政治経済史学』370号 1997年
岩佐美代子「『花園天皇宸記』−天皇の日常と思索−」『宮廷に生きる』笠間書院 1997年
吾妻建治「花園天皇宸記を読む U」『日本常民文化紀要』18号 1996年
橋本芳和「『花園天皇宸記』に見たる広義門院西園寺寧子(3)」『政治経済史学』357号 1996年
橋本芳和「『花園天皇宸記』に見たる広義門院西園寺寧子(4)」『政治経済史学』358号 1996年
橋本芳和「『花園天皇宸記』に見たる広義門院西園寺寧子(5)」『政治経済史学』361号 1996年
橋本治「ひらがな日本美術史(その29)似絵というもの―藤原豪信筆「花園天皇像」」『芸術新潮』47(4)号 1996年
吾妻建治「花園天皇宸記を読む T」『日本常民文化紀要』17号 1995年
戸出一郎「「花園天皇宸記」に表れる花園天皇の口腔並に顔面の疾病について」『日本医史学雑誌』41(2)号 1995年
橋本芳和「『花園天皇宸記』に見たる広義門院西園寺寧子(2)」『政治経済史学』344号 1995年
八嶌正治「「花園院宸記」成巻について」『日本歴史』537号 1993年
八木美智恵「花園天皇から見た大覚寺統 −室町院領をめぐる両統の対立をとおして−」『大正史学』23号 1993年
八木美智恵「花園天皇の信仰について」『大正史学』22号 1992年
橋本芳和「『花園天皇宸記』に見たる広義門院西園寺寧子(1)」『政治経済史学』300号 1991年
長永孝弘「中世宮廷の学問をめぐる問題―花園天皇周辺の動向についての再検討」『白山史学』26号 1990年
村田正志「花園天皇宸記の全容と形態」『ぐんしょ』再刊第7号 1990年
深津睦夫「花園院の和歌観再考―宋学の影響の可能性をめぐって」『皇学館論叢』22(4)号 1989年
羽下徳彦「『花園天皇宸記』と文保御和談」『ぐんしょ』再刊第2号(Vol1) 1989年
後藤紀彦「花園天皇宸翰願文と塙検校の逸事」『東京大学史料編纂所報』16号 1981年
深津睦夫「京極派・康永期歌風の一面について―永福門院と花園院の役割を中心に」『言語と文芸』90号 1980年
岩佐美代子「花園院七回忌「法華経要文和歌懐紙」翻訳と考察」『国語国文』48(8)号 1979年
中村和子「花園天皇と朝幕関係について−特に譲位の事情を中心に−」『大正史学』9号 1979年
中村和子「花園天皇について」『大正史学』8号 1978年
小此木輝之「花園天皇の信仰について (大谷大学における第26回〔日本印度学仏教学会〕学術大会紀要-2-)」『印度学仏教学研究』24(2)号 1976年
白石大二「花園天皇宸記と徒然草―発想の継承,時代思潮,当代語をめぐって」『早稲田大学教育学部学術研究 国語・国文学編』24号 1975年
山西商平「「花園天皇宸記」に見える二条為世評」『甲南大学紀要 文学編』13号 1974年
安田章生「花園院」『甲南大学紀要 文学編』3号 1971年
岩佐美代子「永福門院の後半生−花園天皇宸記を通して−」『国語国文』35(8)号 1966年
岩佐美代子「花園院の永福門院批判」『国語と国文学』43(12)号 1966年
和島芳男「花園天皇の儒仏分離論について」『仏教史学』10(1)号 1962年
大内摩耶子「花園院と和歌−宸記をめぐって−」『大阪府立大学紀要 人文・社会科学』8号 1960年
穴山考道「花園院御日記について−徒然草研究のために−」『文学論輯』7号 1960年

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