新帝即位同崩御 附郭公並雨禁獄事
(しんていそくゐ おなじくほうぎょ ならびにあめきんごくのこと)
永万元年6月27日、新帝が即位。7月13日に春寛法印が祈祷すると邪気が発生、崇徳院の怨霊と噂される。そして28日に崩御。御年22。
29日に修理大夫平頼盛、三河守光雅、主典代置能らが陰陽師宣憲と一緒に葬送地を決定。8月7日葬送。付き従う公卿は
右大臣経宗、
中宮大夫実長、
別当公保、
新中納言実国、
大宮宰相隆季、
左大弁資長、
右大弁雅頼、
平宰相親教
で、衣笠岡にて荼毘にふされ、左中将頼定が御骨を掛けて香隆寺に納骨。悲嘆に暮れながら帰っていった。
先帝に引き続いて先立たれた近衛大宮は、北山の麓で髪を下ろした。
この夏、郭公(ほととぎす)が京中に沢山出現し、二羽の郭公が空中で食い合って宮中に落ちた。野鳥が部屋に入るときは主人が去る時であるとの文章がある。奇怪なことなので、この二羽の郭公を捕らえ、監禁した。
白河院の時代、法勝寺での一切経の供養が雨で悉く順延になったので、雨を器に入れてそれを監獄に入れた事もあった。
退位、崩御は怪鳥の出現の故であろうか。
この回のキーワード・崇徳院の怨霊・香隆寺
前に戻る
巻二の表紙に戻る
続きを読む