三分で読める平家物語


 この世に永遠なるものなどございましょうか。強勢を誇る者もやがては滅んでゆきます。なかでも今から八百年位前に権勢を誇った平清盛という武士は、日本と中国のにも並びなき大悪人でありました。


 平清盛は父忠盛の後を継いで天皇家と縁を持ち、人臣を極めたのでありますが、一方で悪業も繰り返しました。


 当然、そんな平家のやり方に反発する人々もおりましたが、密告者により計画は頓挫してしまいました。ところが、清盛の孫にあたります安徳天皇の誕生に喜ぶなか、清盛の暴走を諌めてきた長男重盛が亡くなってしまいます。重盛亡き後、抑制する者がいなくなった清盛は多くの公卿を更迭し、法皇まで軟禁する次第でした。


 これに反発する人々は絶えず、今度は、唯一都に残っていた源氏、源頼政が不遇の以仁王を担いで叛乱を企てました。叛乱は失敗に終わりましたが、平家の悪行は留まることを知らず、強引に福原(神戸)遷都を行う始末でありました。


 一方、東国では源頼朝が反旗の兵を挙げ関東を制圧し、平家の討伐軍を富士川で破り無視できない存在になりました。同じく源氏の木曽義仲も信濃で挙兵しました。全国各地で叛乱が勃発し、鎮定軍が日本中を駆け回るようになりましたが、その中で平家は誤って東大寺・興福寺を焼いてしまうという罪業を犯してしまいます。


 このように平家の衰退が露わになってきた中、清盛は悪業による熱病で死亡してしまいます。


 清盛の亡き後、三男の宗盛が継ぐが、有能とはいえない人物でありまして、北陸からは倶利伽羅谷の戦いを征した木曽義仲が京都に迫ってきました。ここに平家は京都を捨てて安徳天皇と神器を手に、西国に流浪する存在となったのです。


 入京した義仲は傍若無人な振舞いで人心を失い、やがて法皇と対立しこれを虜にしてしまいました。そこで頼朝が京都に侵攻、義仲を撃破したのです。
 

 一時は都落ちした平家でありましたが、この騒ぎの中で勢力を回復し、神戸近く、一の谷に拠点を築くに至ります。


 これに対し早速頼朝は弟の範頼、義経を総大将に平家討伐軍を組織し、一の谷の要害を陥落させました。平家は高松付近の屋島に落ち延びます。
 

 ここで法皇は一の谷で捕虜にした平重衡と三種の神器の交換を持ち出しますが、決裂してしまいます。そこで範頼を総大将に討伐軍が結成され、瀬戸内海で平家の軍を破りますが、範頼は追い討ちをかけることなくその場で遊興に耽ってしまいました。


 代って討伐軍総大将になった義経は悪天候を突いて渡辺(大阪)から四国に上陸、屋島の平家を急襲し、これを破りました。義経はそのまま西に平家を追い、とうとう壇ノ浦で滅亡させたのです。しかし三種の神器の内、入水した安徳天皇と共に沈んだ宝劒は遂に戻りませんでした。


 戦後、義経と頼朝の対立が深まる中、頼朝の戦後処理は厳しく、恩がある平頼盛を除く、平家関係者殆どが処刑されてしまいます。そんな中で残された平家の嫡流六代は、怪僧文覚の努力で助命され生き延びますが、文覚亡き後殺されてしまい、ここに平家の子孫は永久に絶えてしまったのでした。


 一方、安徳天皇の母で清盛の娘であった建礼門院は、大原で亡き平家の菩提を弔いながら往生を遂げたのでありました。



もっと詳しく読みたい

もういい