江戸の幸若舞
芸能と権威…切っても切れないのに、切らねばならない状態の中、彼らは権力者を選びまし
た。
【芸能と身分統制】
江戸時代に入り、印刷技術が向上すると幸若の台本は『舞の本』、つまり読む本として出版され、盛況を博しました。しかし、一方で、江戸時代は厳しい身分
統制が行われた時代で、芸能者もご多分に漏れませんでした。
幕府の身分統制は、綱吉のころまでは、前時代に倣ったやり方でした。総元締めにある程度の権力をもたせた間接支配です。代表的なのが浅草の長吏弾座衛門
でした。弾座衛門の権威は全国までとどろき、それがゆえに、危険視した幕府がこの制度を解体し、厳しい直接支配に乗り出すのですが、かれら弾座衛門のやり
方は「お墨付」による権威支配でした。彼らは多くは頼朝が彼らに支配権を認めたとする偽文書を持っており、権力者もそれを容認する形で支配が進んだので
す。その書き方は一定しており、弾座衛門が支配下におく職業が列挙されます。つまり、そこに書かれた職業は弾座衛門に支配され、身分統制下に置かれること
を示していました。
そのなかに「舞舞・曲舞」の言葉が見えてきます。これは「幸若家」にとって、とても難しい問題となりました。先述のとおり、幸若家は数ある曲舞のグルー
プから抜け出て、権力者をパトロンとし、大名家と立ち回りすることさえできたのですが、一方で、自らのルーツである曲舞の徒は、身分統制下に置かれること
になりました。幸若家は悩んだでしょう。自らの生業である芸能が自ら築き上げた地位を失わしめるのですから。結果、幸若家は苦渋の選択をすることになりま
す。
【幸若の式芸化と職能視回
避の算段】
彼らが選んだ道は、自らのルーツを書き換えることでした。一つは室木氏が指摘している、居住地名の変更です。つまり、芸能の徒であるとわかる、印内(陰
内・院内)村の名前を改めようと働きかけました。小八郎家が敦賀の諸鶴大夫の家を引き継いだとき、大夫の住んでいた院内村を田島村に改称したようです。
次に、「由緒書」の作成です。室木氏によると、延宝四年(1677)ごろから系図を作り始めているようですが、その内容は、自らの先祖は弾圧され没落し
た越前の守護桃井氏の子孫桃井幸若丸(なかには清和源氏から説き始めるものも)とすることが一つ目の特徴です。その幸若丸が、桃井家没落後、比叡山の稚児
として物語を演じて僧を慰めているうちに、天
皇のお呼びがかかり、叡覧あって菊の紋を拝領したとするものです。当然信憑性は低いものです。さらに、武家とのつながりの強調、自らの芸は素人芸であるこ
との強調。「舞」という言葉を忌避し、「音曲」の語に固執しているのが二つ目の特徴です。その目的は「幸若家」の素性を「明らかに」することと、「舞舞」
との区別であることは明らかでした。彼らは武家の身分を守るために、自らの芸能は、武家の式楽として、副業的にすることを選んだのです。芸能の発展として
は、命取りであったことは言うまでもありません。幸若舞が廃れた一番の原因はここにあるといっても過言ではないでしょう。
【曲舞の没落】
本家がこれですから、残る曲舞が発展することは可能性が低かったのでしょう。室木氏によると、若狭の高浜舞々(柳大夫・幸菊ら)は戦国末期から17世紀
後半まで神社の祭礼に参加している記録がある一方で、戦国末の仁右衛門という舞々が、寛永年間には下人となっていることを挙げ、舞の没落と身分固定を示す
ものとして取り上げております。吾郷寅之進氏は「幸若舞曲研究の課題(二)」『幸若舞曲研究』第一巻所収)で、『徳川実記』において、たびたび将軍は幸若
舞を見ているが宝永六年(1678)以降は舞という言葉がなくなり謡物もしくは音曲が聞かれるという記事になっていると指摘を加えます。幸若の系図作りと
同じ時期で、幸若家が本格的に自らの芸を捨てようとしていた証左ともいえましょう。
『和漢三才図絵』「芸能」では、浄瑠璃の隆盛のために廃れたとしているように、元禄(1688〜)年間に入ると、曲舞・幸若はじいさんばあさんが見る、
古い芸能と化してしまいました。
こうして、幸若舞は生きた化石としての歩みをせざるを得なくなり、あれほど隆盛を誇った芸能も、今日では一年に一回のものとなってしまったのです。
私たちは、このことから何を学ぶのでしょうか。権威と芸能は切っても切れない関係です。ですから、彼らがやったような権威付けやパトロン作りということ
を否定することはできません。しかし、権威に頼りきったとき、芸能の形骸化が起こるというのは、「能楽」も同じでしょう。芸能は享受者のニーズに合わせ、
常にどこかで変化してゆく流動的なもの。カタをみっちり仕込まれるくせに、それを枠にはめたとき、はめざるを得なかったとき、それはウナギをつかむよう
に、するすると逃げていってしまうの
です。私たちが古典芸能と向き合うとき、このことを決して忘れてはいけません。芸能のなかで、古典という権威は、逆に古さを感じさせてしまうのです。も
し、古典芸能に興味をお持ちの方は、福島真人編『身体の構築学 社会的学習過程としての身体技法』(ひつじ書房)を紐解きながら、ここを一度振り帰ってほ
しいと存じます。
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