門松の起源(一月)



一日から低い身分の家々に門の松といって立てるのはいつ頃から始まったことなのかな。



いつ頃からとは、はっきりとは言いにくい。門松を立てるのは昔からあった事だろう。

身分が低い家は大概、律令制度の時代にに税を納めさせられていた封戸(ふこ)だったので、人民の家、つまり民戸と呼ぶのだが、昔は町の一区画を五丈(約15m)ずつに割って、門を立てたので、八つの門があることになる。その中に身分が低い家を造ったので。門が無いと言うことはなかった。その門の前に松竹を立てたのであった。

松は長寿を約束し、竹は家が続くことを約束する草木なので、年始の祝い事として立てたのであろう。また、しだ・ゆずり葉は、深い山の中にあって、雪や霜にもしぼまない物なので、注連縄に飾って、同じく正月の飾りとして出したのだろう。

注連縄と言うものは、左巻きに撚って、縄の端をそろえないものである。左は清浄であるといういわれによって、端を揃えないのは素直な心を表すからである。

かの、あまてるおほん神(天照大神)が天の岩戸からお出ましになった時、しめくり縄といって曳かれたのは、今の注連縄である。

注連縄は浄不浄を分けるものなので、神事のときには必ず曳くものである。身分が低い家に注連縄を引く事も、正月の神を祝い祭る心伊達なのだろう。






門松に注連縄、正月の代名詞ですね。
いろいろといわれが紹介されていますが、左が清浄というのは面白いですね。
縄は普通右巻きにするのですが、吉凶に関することはこのように左に巻くそうです。
確かに亡くなった人が着る経帷子は左前にしますし、
左というのは何か普通ではない意味が込められているのでしょうか。
また、右利きの人が多いから、左がそういう風に見られたのでしょうか?
さて、文中の身分が低い家というのは原文では「しづが家」となっていますが、
これは貴族の作者からの視点で、普通の民家ぐらいに捉えるべきなのでしょう。



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